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2014/10/02 13:16

追補としての別冊付録「セントレジャー厨のオタ話」(おわり)

 戦後のセントレジャー馬でダービー馬を出したのはNijinskyII以前にはChamossaire、NeverSayDie、BallymossHethersettRagusaとそこそこいるのですが、極め付けは父仔二代のセントレジャー馬が、日本に輸入されてタケホープやベルワイドの父と成った'64年のインディアナが最後で、父は日本国憲法が施行された'47年の勝ち馬Sayajirao(ダービー馬Danteの全弟)。NijinskyIIは直系子孫にセントレジャー馬はいても、直仔に勝ち馬が居なかったのが痛いですね。NijinskyII以降の牡馬のセントレジャー馬では'74年の勝ち馬BustinoNashwanの母父になっている以外、最近の馬の血統表の4代以内に名前すら見ない状態です。見るとすれば、日本に輸入されたセントレジャー馬が日本で生産された馬の血統表に出る位でしょう。
 そもそもセントレジャー馬はヨーロッパで種牡馬になっているんでしょうか。'73年のPeleidが『優駿』の海外ニュースで、東欧か南欧辺りの競馬後進国に輸出されたことが報じられていましたが、今年のセントレジャー馬の出走馬の父にセントレジャー馬は一頭も居ません。日本の菊花賞馬や春の天皇賞馬があっさり乗馬になってしまう様なことが、ヨーロッパでも有るのでしょうか。偶々JCの出走馬の中に'06年の勝ち馬SixtiesIconを見附け、掲示板を見ると、この馬は種牡馬に成った様です。というより、この馬がディープインパクトの凱旋門賞に出たのは知っていましたが、JCに出ていたのは全く記憶に有りません。

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