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2014/09/25 05:15

天の邪鬼のセントレジャー咄(4/12)

 そのコラムが書かれた頃の他の年はどうだったかと思い出してみると、Boucherが勝った'72年はオークス馬のGinevraが、Peleidが勝った'73年はダービー二着のCavoDoro(SirIvorの初年度産駒)が出ていました。'74年のBustino(Nashwanの母父)は'75年のキングジョージで勝ったグランディーと接戦を演じ、同世代の最強馬と見られていた様です。別のコラムニストが'74年のダービー馬SnowKnightに関して、Bustinoが走らなかったから勝てたのだと書いていました(Bustinoは四着)。でも、特別凄いメンバーのレースとは思われず、'71年がよっぽど非道かったということでしょうね。
 この傾向は今も変わってはいないでしょう。'70年代半ばには愛セントレジャーは三歳以上になっており、仏セントレジャーも古馬に開放されることになって、イギリスはどうするのかという論調もありましたが、クラシックレースとして存続させているのは評価したいと思います。'80年代になってヨーロッパパターンレースの格付けでも、セントレジャーはGroupIになっていますから、競馬サークルの人の考え方次第ということでしょう。私の様な外野の野次馬が出来ることは、レースその物に注目して行くことだけです。
 その注目を始めた1976年は1776年から始まったセントレジャーの200回記念レース(第二次大戦の勃発した1939年は中止だった為)で、勝ったCrowは続く凱旋門賞ではIvanjicaの二着でした。

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