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2013/04/16 22:31

「巨椋池に沈めたろか!」ー???(前編)

 関西のローカルネタなので、「アホか」と思われた方は「バックプリーズ」です。
 京都競馬場のコースの真ん中の池は昔の宇治川の名残から、巨椋池(おぐらいけ)のお話しです。「巨椋(おおくら)の入江響(とよ)むなり射目人の伏見が田井に鴈渡るらし」(萬葉集-巻九・1699)と詠まれた場所ですが、飛鳥・奈良時代の「萬葉集」には余り京都の地名は出て来ません。前出の巨椋、伏見や、後は宇治川、木幡、山科、鴨川等です。鴨川などは日本の何処の、別の鴨川だと思っていました。桓武天皇の平安遷都以前の京都はかなり辺鄙な田舎だった様です。
 私は大学は法学部卒業なんですが、入学は文学部地理学科で、二回生転部の口です。故に、少しかじった知識を書きます。太古の宇治川は巨椋池に流れ込み、巨椋池から流れ出るという形で、巨椋池は宇治川の遊水池というより、宇治川そのものだった様です。これを豊臣秀吉が巨椋池に流れ込む宇治川を、今の観月橋のある中書島や淀の方へ「へ」の字型に流れを変えた訳です。淀城は秀吉が築城し、秀吉自身が取り壊したのですが、巨椋池は西側で宇治川と繋がる遊水池になった様です。近代になると水質も悪化し、害虫の大量発生で周辺住民の苦情も多く、戦時中の食糧増産の目的で1941年に干拓されました。

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