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2013/04/15 23:51

雑文(桜花賞からアレコレと)ー松の巻

 桜花賞は期待した馬は勝てませんでした。メイショウマンボは直線で伸びそうになく、クロフネサプライズは後続の馬に交わされていました。しかし、牡馬クラシックでも、弥生賞やスプリングSの勝ち馬が皐月賞で負けて、ダービーで勝ったケースも有る訳で、オークスで頑張ってもらいましょう。但し、直近は'90年代に集中していまして、フィリーズレビューはエイシンサニー、イソノルーブル、重賞昇格前のチューリップ賞はアドラーブルと三年連続だったんですね。もう20年以上無い訳ですので、此処はヤマピットを取り上げます。私が競馬を見始めて、入れ替わる様に引退しているので、ヤマピットの現役時代は知りません。只、引退して間がなかった為に、桜花賞は厩務員ストで京都開催に順延されて負け、オークスは逃げ切って勝った馬という認識は有りました。キタノカチドキのライバルだったイットーのデビュー戦は日曜日だったはずですが、KTVの松本暢章アナが「あのミスマルミチの仔ですね」と言われてました。私は「ミスマルミチって誰?」という感覚でしたが、イットーのデビュー時はヤマピットはボージェストを産んで死んでおり、「ヤマピットの姪」という扱いだったと思います。
 改めて『競馬四季報'76年夏』を見ますと、桜花賞は'67年4月30日で皐月賞もNHK杯も同じ日(キタノカチドキの年は皐月賞とNHK杯は二日違いでしたが)、前日は菊花賞二着のスピードシンボリが勝って、菊花賞馬のナスノコトブキはレース中に故障発生して競走中止という、所謂「ナスノコトブキの悲劇」の原因となった天皇賞が有ったんですね。そう言えば「キーストンの悲劇」もこの'67年ですね。

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