268件のひとこと日記があります。
2013/03/10 20:32
競馬との関わりを徒然に(巻三十九)
'69年のスピードシンボリに触れない訳にはいきません。この年に欧州遠征をして、KingGeorgeVI&QueenElizabethS(通称キングジョージ)、ドービル大賞典、凱旋門賞に出走し、それぞれ5着、10着、11着以下(フランスの公式記録がどうなっているのか分かりませんが、当時ははっきり着順が記載されていましたけどね)という結果でした。今から考えると、良く頑張ってますね。凱旋門賞の出走頭数は最近は20頭以下ですが、当時は20頭以上は当たり前で、故に外枠は致命的ですが、オルフェーヴルの18番なんてそれほど不利でもなかった感じでしたね。スピードシンボリは24頭立てだったので、真ん中よりは前の着順で、日本に輸入された仏ダービー馬のグッドリーやドービル大賞典で負けたDjakaoに先着しています。何より海外に目を向けさせてくれた功績は大きいですね。キングジョージはイギリスの、凱旋門賞はフランスの、それぞれ有馬記念みたいなものという認識でした。
私は関西住みなので、スピードシンボリの名前を知ったのも、前年のリュウズキの勝った有馬記念の時でしたし、生で見たレースはその有馬記念と八歳(当時の表記)のAJCC、宝塚記念、ハリウッドTC賞(今の京都大賞典)だけです。彼の二連覇した有馬記念は、何をしていたかは記憶に有りませんが、見ていません。
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ふくすけさん
私も「ミニオタク」なんで、知的好奇心を満たしてくれるなら、借に拾萬圓でも買いますが(一点豪華主義ってやつですか。他にお金回しませんから)、そういう本が有るか否かですね。Wikiはユーザーの投稿みたいですが、出典に「ThoroughbredHeritage」というサイトが有ったので、今はそれを検索しています。ヤフー系列で、スタッフはアメリカ人みたいですが、協力者は各国に散らばっている様ですね。只、馬のスペリングが私の知っているのと違っていたり、クラシックホースの勝った年度が一年違っていたりすると、「大丈夫きゃあ?」ってなりますね。私の知識は血統センターの「サラブレッドの世界」、イギリスから取り寄せた「ダービーステークスの歴史」と「ラフの競馬便覧1976」ですが、それらの馬名は共通なので、そっちを信用しますからね。血統研究家の人達はどうしているんでしょうね。
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昔、サラブレッド血統センターが出していた「サラブレッド血統体系」と言う本なら、古本屋のサイトで検索して見ると引っかかるかもしれません。ただ、当時の定価が3万円だった恐ろしい本ですので、プレミアが付いていると、どのくらいの価格がするのかわかりませんが・・・
(ひょっとしたら二束三文の可能性もあります。)
ところで、amazonは古本も扱っています。是非、検索してみて下さい。
(ちなみに、amazonでは上記「サラブレッド血統体系」はヒットしませんでした。。) -
ふくすけさん
一円って古本ですかね。AMAZONて何でも屋ですか?詳しくは知らないので、調べてみます。余談ですが、30年以上前に、競馬会のCMで「ファミリーテーブル」を表紙から開いて行くのが有りまして、これが欲しくて色々探しましたが、絶版なんですかね。間違いなく、JRAにはあるんでしょうが、残念です。
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海渡英佑氏の「無印の本命」、amazonで1円で売ってますので、もしよろしかったら読んでみて下さい。確かにちょっと古いですが、昭和の競馬とそのファンの世界にどっぷり浸れること請け合いです。
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ふくすけさん
スピードシンボリの初挑戦から苦節43年の悲願の凱旋門賞制覇というストーリーだったんですよ。悲劇のテンポイントもシンボリの挑戦を参考にしていた様ですから、彼の挑戦は日本の競馬サークルヘの影響は大きいですね。
ところで、海渡栄佑さんの本は存じあげないのですが、保田隆芳騎手が引退した後、『優駿』に海渡さんがそのドキュメント的なものを連載されていまして、その中の一節が妙に印象に残っています。曰く、「周りの若い騎手とは親子ほどの年の差があるので、ほとんど喋らない」とのこと。昔よりオサーン騎手は増えている時代ですからね。アンカツさんなんかはどうだったのかなと思います。 -
そうですね、スピードシンボリは海外の成績も立派だったですよね。
当時の海外遠征はワシントンDCがメインでしたが、殆どの遠征馬が大敗を繰り返していましたから・・・
日本馬が凱旋門賞あわや!のシーンが見れるなんて、当時は想像も出来ませんでした。(もっと昔にハクチカラのワシントン・バースデーH勝利、なんて言うのもありましたが) -
ふくすけさん
早速のコメント有難う御座います。私は当時の日本馬のレベルを考えても、海外で無様なレースしていないと思います。大差の殿とかブービーとか、頭を抱えることはありません。若し、天皇賞の出走制限が無ければ、天皇賞を何勝かはしていたでしょうね。でも、取り零しもする馬でした。去年オルフェーヴルが凱旋門賞を勝った場合、スピードシンボリを引っ張り出して来るつもりでした。
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私は、スピードシンボリは残念ながらリアルタイムでは見ていないのですが、海渡英佑氏の傑作長編小説「無印の本命」(この小説はある意味スピードシンボリが主人公ですね)を読んで、当時の雰囲気を味わっていました。あのあたりからハイセイコー登場に至る数年の競馬の盛り上がりが、まさに当時の「高度成長期」と重なってとても感慨深いものがあります。