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268件のひとこと日記があります。

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2013/02/16 03:38

競馬との関わりを徒然に(巻三十八)

  若し私がスポーツライターなら「福本豊と福永洋一」という本を書いていたと思います。残念ながら、この二人を対比させるスポーツジャーナリストは存在しなかったし、今もいないでしょう。プロ野球関係者でも競馬好きはそれなりにいたはずなんですが、残念です。
 '79年の落馬事故は日曜日のレースで、競馬中継でリアルタイムで見ましたが、騎乗したマリージョーイはテスコボーイ牝駒で、後に重賞レースも勝っている馬とはいえ、そのレースでは四コーナーでは後ろのグループで、TVカメラからは外れていたと思います。恐らく福永騎手はそのレースは諦めて、次のレースのことを考えていたので、ハクヨーカツヒデの落馬に巻き込まれたのではないかと言う人もいましたね。 福永騎手が騎手生命を絶たれず、生涯現役ならどれぐらい勝っていたでしょうね。同期の岡部幸雄騎手や柴田政人騎手の追随を許さなかったので、武豊騎手と岡部幸雄騎手の中間位でしょうか。福永騎手がいたら、南井克己、河内洋、村本善之、田原成貴の各騎手の大レースの勝ち鞍のいくつかは、福永騎手が乗っていた可能性は有りますね。ただ、ダービーは関西馬が劣勢だったので、晩年までダービー勝てなかったかもしれません。関西のダービー馬の所属厩舎から考えると、ウイニングチケットか武田文吾厩舎時代の兄弟子の鶴留明雄厩舎のタヤスツヨシかなと思います。

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  • ふくすけさん

     全く同感です。日本シリーズのデイゲームの独特の雰囲気はたまらないです。いくら地球温暖化といっても、10月や11月にナイターなんて、寒々します。40年以上前なんて、ナイターで遅くなって、1人で家に帰る時もありましたけどね。今と違って晩の10時過ぎたら、住宅街は人通りも無く、小学生が歩いているのも、寂寥感が乙なものでした。繁華街を除いて、晩に営業するお店なんてゼロでしたから。

    2013/03/03 02:08 ブロック

  • シゲルボウラクさん

    ふくすけさん、善正と里志の名前を忘れてしまうようじゃ、私の記憶力も当てになりません。特にかみそりシュートの善正を忘れるとは。そにしても昨今、高橋姓の名投手は見当たらないようですね、不思議です。
    スダピンボールさん、当時日本シリーズはデイゲームでしたね。競馬場でもなぜかモニターで中継していて、競馬そっちのけでみんな見てました。日本シリーズはデイゲームが似合います。仕事抜けだして、近所の喫茶店でテレビ見たのが懐かしいです。

    2013/03/02 07:16 ブロック

  • ふくすけさん

     シゲルボウラクさん、一個7000円の石鹸の通販会社の社長の台詞みたいに「何事も自然が一番!」デスヨ。書きたい時に書かれたら、宜しいかと思います。高橋姓の投手なら、パ・リーグの新人王の東映の高橋善正(ジャイアンツへ移籍して、現役引退後はコーチしていましたね)と南海から広島ヘ移籍して20勝投手になった高橋里志が思い出されます。
     スダピンボールさん、′84年の日本シリーズですね。MVPは長嶋清幸ですね。第一戦で満塁ホームラン打ちました。この選手もこの後は尻すぼみで、中日、ロッテ、阪神と渡り歩いたと思います。上田監督の抗議は御存知でしたか。写真は恐らく後楽園球場(神宮球場は東京六大学で使用される為)のレフトポールの下で、富澤審判に怒っている場面だと思います。

    2013/03/02 01:59 ブロック

  • スダピンボールさん

    阪急と広島が第8戦まで戦ったシリーズが、テレビで見た中で最古のシリーズです。
    小学校時代から、選手名鑑が愛読書だったので…。やな小学生でした。
    ベースボールマガジンの別冊なんかで池永事件とか、金田がバットを観客席向かって振り上げるシーン、上田監督の猛抗議のシーン、天秤打法、などは白黒の写真で読んだ記憶があります。
    この時期は、クラシック戦線の私的格付け、日米の野球選手名鑑の熟読など、仕事で忙しくする暇などない、という楽しい季節です。
    たかされ、も発売と同時に買ってもらった記憶があります。

    2013/03/01 09:22 ブロック

  • シゲルボウラクさん

    とりあえず野球の話題は一旦終了と思いましたが、高橋一三の名前が出たので、ちょっと投稿させてもらいます。巨人の選手でONは別格として、篠塚、ホワイトと並んで好きなのが高橋一三でした。あの全身を使って投げるダイナミックなフォームは独特なものがありました。高橋一三といえば昭和48年の巨人-阪神最終戦でしょうか。最終戦でペナントレースの優勝が決まったという甲子園での一戦。前日にナゴヤ球場で阪神が中日に負けたため実現した決戦です。高橋一三が胴上げ投手となりましたが、その試合でスリーランホームランを打った富田と一緒に、後に日ハムにトレードされた時はショックでした。しかし翌49年は全く勝てず、もう少し活躍していればこの年の中日の優勝はなかったでしょうね。当時は高橋姓で他にもいいピッチャーがいました。重行(大洋)、直樹(東映)、明(巨人)など。

    2013/03/01 07:21 ブロック

  • ふくすけさん

     スダピンボールさんも野球に関わりを持っておられるのですね。団塊の世代の200勝投手は確かにそうですね。南海は野村再生工場の代表格の山内新一(ジャイアンツ)と二年だけ在籍した200勝投手江夏豊がいましたが、生え抜きの200勝投手はいませんね。日本ハムは高橋直樹とジャイアンツから来た高橋一三の二人は200勝届かず。野球賭博で′70年に永久追放になった森安敏明は残念でしたね。確か森安弘明・重勝兄弟と遠い親戚だと山口瞳さんが書かれてましたね。
     スダピンボールさんは′78年の「江川事件」や日本シリーズの第七戦の「ホームラン判定事件」は一歳の時だから御存知ないでしょうね。

    2013/02/28 21:58 ブロック

  • スダピンボールさん

    加藤英司が居たようなチーム、というのは、関西のパリーグチーム、というか電鉄のチーム、という意味です。
    昭和52年生まれの東京生まれ東京育ちですので、パリーグ黄金期には間に合っていない、という意味で書きました。
    もっともパリーグは常にセリーグより強いイメージですね。
    東尾、山田、村田、鈴木にはぎりぎり間に合いました。
    日ハムと南海には、上記4人と並ぶ世代の名球会投手がいなくて寂しい気がします。

    2013/02/28 08:58 ブロック

  • ふくすけさん

    (続く)。私は阪急ブレーブスの無い今は「ムカつく」派ですがね。
     サングラスなら、私は大沢親分とオリックスの打撃コーチ(今は二軍監督)の新井宏昌さんですね。そういえば、大浦龍宇一は高田浩吉の甥っ子らしいですね。

    2013/02/27 16:08 ブロック

  • ふくすけさん

     スダピンボールさん、「加藤英司が云々」というのは、何か彼に恨みでもおありですか?(笑)私が野球と競馬を絡めるのは「福本豊と福永洋一」とキタノカチドキの掲示板に書いた顕彰制度と野球殿堂だけですから、今後は書かないと思います。福永騎手の落馬事故の直後に「福本豊と福永洋一」を『優駿』に投稿しようかと思いましたが止めた経緯があったんです。有力選手がメジャーリーグを目指す時代に、プロ野球の人気はどうなっているんでしょうね。去年の秋のシーズン終了前、未だ両リーグともに優勝(厳密に言えばリーグ一位)が決まっていないのに、NHKや全国ネットの民放地上波でプロ野球中継がなかったのは不思議でした。ジャイアンツがビジターなら、日テレ以外が放送するはずなんですが、プロ野球もサッカーなどにファンが流れているんでしょうか。野球に興味ない人は見たい番組が中止になったり、放送時間が遅くなったりすればムカつくでしょうね

    2013/02/27 16:02 ブロック

  • スダピンボールさん

    私は東京の人間なので、加藤英司が居たようなチームには詳しくありません。
    野球ゲームに関西の鉄道連合チームという架空のチームがあり、松永、福良、ブーマー、門田、石嶺、藤井、山田、山沖ってすごい充実ぶりでした。
    最近は野球のあるある本が流行ってるようですね。
    私的三大、漢字で書くと余分な漢字がある名前
    前田日明(これじゃヒアキラ)
    小宮山悟(これじゃコミヤヤマ)
    大浦龍宇一(これじゃリュウウイチ)
    南海の河埜のヒゲも印象的です。

    2013/02/24 22:13 ブロック

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