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2013/02/16 03:32

競馬との関わりを徒然に(巻三十七)

'69年は福永洋一騎手のデビュー二年目の年でしたが、デビューした前年に14勝して新人賞だったことは、その頃は知りませんでした。春頃の『競馬ブック』の表紙に福永騎手の勝ったレースが使われ、添付された文章には「目指せ、リーディングジョッキー!」とありまして、武邦派の私は思わず、「アホか!」と思いました。その後の五月の黄金週間にキタヤマニシキ事件が起こります。一位入線の福永騎手が後検量で斤量不足が発覚し、キタヤマニシキは失格、福永騎手は長期騎乗停止になりました。私は「何やってんの!ドン臭いやっちゃ!何が『目指せ、リーディングジョッキー!』や」と正直思いました。まさか、翌'70年からリーディングジョッキーを独走し、「天才福永洋一」と呼ばれるとは思いもよりませんでした。
 しかし、『競馬ブック』は福永洋一騎手に着目していたのなら、まさに慧眼ですね。武田文吾厩舎所属ではありましたが、兄の福永甲騎手は年間ほんの何勝かの目立たない騎手でしたからねぇ。何か兄とは違うものがあったのでしょうか。 '70年から'78年まで9年連続リーディングジョッキーだった福永洋一騎手と福本豊選手と被るのは、トップに立った年が同じで、何年間もトップに君臨したことです。福本選手が1年年上ですが、二人に接点は無いと思います。福本選手が競馬好きなんて聞いたこともありませんし、会ったことも無いんではないでしょうか。

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