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268件のひとこと日記があります。

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2013/02/16 03:29

競馬との関わりを徒然に(巻三十六)

'69年のクラシックレースは皐月賞、オークス、菊花賞は家で見ましたが、ダービーは祖父母宅へ母親と行く用事が出来て、祖父母宅で結果を知りました。そして桜花賞は翌朝の新聞で、ヒデコトブキとトウメイの1、2着を知りました。何をしていたかというと、西宮球場へ阪急ブレーブスの試合を見に行っていたのです。前日の四月十二日の土曜日にパ・リーグは開幕し、十三日の日曜日はダブルヘッダーでした。相手は東映フライヤーズで、この日の二試合目に歴史的なものと出会いました。ドラフト七位で入団した新人の福本豊選手が代走に起用され、二塁へ初盗塁を決めたのです。勿論、私には全く記憶に有りません。これは後で知ったことです。まさか、この選手が翌'70年に75盗塁をして盗塁王になり、'82年まで13年連続盗塁王、通算1065盗塁の当時の世界記録を達成し、通算安打も2543本で野球殿堂入りするなんて想像もつきませんでした。
 事実、一年目の福本選手は殆ど二軍暮らしで、二個目の盗塁を決めるのはシーズン終盤の秋のことです。シーズン当初は一軍にはいましたが、塁にいて盗塁のサインが出ても足がすくんで走れず、西本幸雄監督に二軍行きを命じられます。ただ、西本監督は当時の片岡二軍監督に「塁に出たら、失敗しても良いから、どんどん走らせてくれ」と申し送ったのは有名な話です。前置きが長いですが、私には福本選手と福永洋一騎手が被るのです。

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  • ふくすけさん

     飯島選手は永田雅一オーナーのアイデアだったと思いますよ。メキシコオリンピックの代表選手でしたね。やはり盗塁はスタートのタイミングが重要な要素であるという典型的な例ですね。
     角三男投手はドラフトで指名されて、翌年のドラフト前に入団した選手ですが、実は私と同い年で、何故かこのチームに西本聖、鹿取、定岡(弟)、藤城とゴロゴロいました。我が阪急ブレーブスにはレギュラーには一人もいなかったのと対照的でした。

    2013/02/17 15:12 ブロック

  • シゲルボウラクさん

    その頃は盗塁といえば、福本選手よりロッテの飯島選手のほうが有名でしたね。それにしても初盗塁を見たというのは本当に歴史的事件に遭遇したといえますね。私もそこまで歴史的でないですが、ある場面に出くわしました。それは4月シーズン開幕直後の後楽園球場ですが、巨人-広島戦で巨人の敗戦濃厚の時に、敗戦処理として角投手が出てきた時のことです。なんと三者三振。これはすごい、今年の角は相当やるんじゃないかと思い、翌日報知新聞を買って角を褒める記事を探したのですが、どこにもなし。あの激ペンの白鳥さんのコラムだったら触れてるだろうと思って読んだが、そこにも書いてなかった。記者に見る目がないのかと非常に憤慨したこと覚えています。角投手がストッパーとして大活躍した年です。

    2013/02/16 13:29 ブロック