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268件のひとこと日記があります。

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2013/01/28 01:18

競馬との関わりを徒然に(巻三十二)

一頭の馬との出逢いで、競馬と関わって行く人は多いと思いますが、私は馬ではなく、武邦彦という騎手との出逢いでしたから、一頭の馬にこだわりはありません。もちろんキタノカチドキは自分的な最強馬ですが、競馬と関わって5年も経っていますから、「出逢い」とは範疇が違います。でも、武邦さんがらみなら、アトラスがいます。三歳時は京都四歳特別、北九州記念、四歳時はスポニチ賞金杯と小倉大賞典、五歳時はCBC賞と小倉記念の計六つの重賞を勝ってます。面白いのは、調べて分かったのですが、所属厩舎がコロコロ変わっていることです。京都四歳特別の時は武平三、恐らくこの後薬物事件で免許剥奪されたのでしょうが、その後は戸山為夫、五歳時のCBC賞は小野留嘉、小倉記念は武田作十郎と武邦さんが所属厩舎を変わった軌跡と同じなのです。時期は同じではないと思いますが、まるで武邦さんがアトラスのオーナーみたいな感じですね。私が競馬と関わり始めた'68年後半から'69年にかけてのアトラスはどん底の様でした。その分岐点は'68年の宝塚記念で惨敗した時だと思います。この時は、野平祐ちゃん騎乗で大レースでは珍しく春の天皇賞を大差勝ちした地方からの移籍馬であるヒカルタカイが、関東馬として初めて春の天皇賞と宝塚記念を連勝したレースでして、アトラスは恐らく八着だったと思います。この後からが私が見たアトラスで、彼は凡走ばかりでした。

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  • ふくすけさん

    スダピンボールさん、すみませんね(-_-)アトラスはクラシックタイプではないし、私も武邦さんのお手馬でなければ、スルーしていたマニアックな馬だと思います。この話題は誰からも興味持たれない、下らん内容だと思いつつ、日記書いてました。ロッコーイチの掲示板にはスダピンボールさんも投稿されていましたが、私はスルーでした。

    2013/01/28 13:52 ブロック

  • スダピンボールさんがいいね!と言っています。

    2013/01/28 09:17 ブロック