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2013/01/25 01:37

競馬との関わりを徒然に(巻三十)

タケシバオーの活躍は'69年を象徴する出来事であり、現在のハードルの高い顕彰馬制度の下での顕彰馬選出は、素晴らしいことです。が、しかし、最後は少し惨めではありました。現在と違い、関西馬一辺倒だった私には、関東馬のタケシバオーは鬱陶しい存在でしかなく、二年続けてのローレル惨敗にも、「どうせ、そんなもんやろな」と冷ややかな感想でした。『優駿』の顕彰馬の記事に依ると、ローレルでは熱発で走れる状態ではなかった様で、有馬記念も調教中の転倒事故で断念し、引退したとなっています。でも、有馬記念に出ていたら、どうだったでしょうね。ダービーの鞍上は森安弘明騎手でしたが、森安騎手が贔屓の山口瞳さんが「ダービーでは二着だったが、タケシバオーはヘロヘロになってゴールした」と書かれていました。勝ち負けは怪しい気がします。山野浩一氏はこの世代に厳しい見方をする人で、後年『優駿』で「有馬記念の勝馬も無く、春秋の天皇賞馬も一頭のみという貧困な世代」と酷評していました。確かに秋の天皇賞は同世代のライトワールドが二着で、勝ったメジロタイヨウは一つ上、有馬記念は二つ上のスピードシンボリが勝ち、一つ下のアカネテンリュウ、ダイシンボルガードが二、三着という結果で、全体的に見れば、タケシバオーの孤軍奮闘でしたね。アサカオー、ダテホーライ、タニノハローモアはこの年重賞レース勝っていましたが、一年通して走っていないと思います。マーチスも冴えなかったと思います。

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