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2013/01/20 00:09

競馬との関わりを徒然に(巻二十九)

'69年のタケシバオーの東京新聞杯と毎日王冠はダートですが、芝コース不良でダート変更はこの頃よくあることで、外国騎手招待レースではオーストラリアの騎手が怒って帰国したことがあり、物議を醸した様です。阪神競馬場にはダートコースは無く、創設されたのは'70年代の半ばで、芝コース保護の為という理由でした。今は時代は変わりましたが、日本の主流は芝だと言うことでしょう。タケシバオーの戦績を見ると、東京の芝ではNHK杯、ダービー、オープンの三戦共二着で未勝利です。スピードシンボリとは未対決ですが、この年のスピードシンボリはAJCC,目黒記念(この年はダート)、ダイヤモンドS、ARGJCCと古馬の2400m以上の王道路線ですが、タケシバオーの陣営は中距離馬という認識だったのでしょうか。通常の天皇賞のステップとは少し違うパターンで、京都記念勝った後も、阪神のマイルのオープン使っていますし、アメリカ遠征前は1200mの英国フェア開催記念に勝ってますし、当時は競馬に本格的に関わったばかりで何とも思わなかったことも、今では首を傾げざるを得ない部分もあります。ところで、英国フェア開催記念は第一回の名称で、二回目からスプリンターズSに成ったと思っていたのは間違いで、第三回スプリンターズSを英国フェア開催記念として施行したんですね。タケシバオーが毎日王冠に勝って一億円馬第一号に成った時の競馬専門誌の見出しは、大橋巨泉氏が流行らせた「やったぜ、ベイビー!」でした。

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