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2013/01/10 21:22

競馬との関わりを徒然に(巻二十六)

タカツバキはきさらぎ賞では後のロングワンの主戦の田口光雄騎手が鞍上だったんですが、関東遠征は全て嶋田功騎手で、私は「関西の騎手を乗せへんから、落馬するんじゃ」と思っていました。当時の嶋田功騎手はクラシック未勝利で、牝馬クラシックを勝ち捲り出すのは、二年後の'71年の桜花賞のナスノカオリからでしたからね。ここで尾形厩舎に話を戻します。ダービー当日、帰宅してから親父が「ハクエイホウが勝ったと思ったけどなぁ」と言っていました。ハクエイホウはダイシンボルガード、ミノルの三着だったのですが、ワイルドモアが戦線離脱して森安重勝騎手が乗る代用品みたいな気がしたにも拘わらず、あわや勝つかの三着とは、やはり尾形厩舎には逸材が多かったんでしょうね。ところで、我が武邦さんはどうしていたでしょう。桜花賞はセブンダブル、皐月賞はタニノシュンライ、ダービーはマサファイターで全て着外でした。マサファイターのダービーの出馬表のコメントは「力もあり、屋根もいいが、状態に疑問」となっていました。でも、フルゲート28頭の八着なら頑張ったと思います。ダービー後は、東の日本短波賞(現ラジオNIKKEI賞)、西の毎日杯と言われていた残念ダービーの毎日杯に勝ち、秋への期待が膨らみました。毎日杯は翌'70年にダービー二着のダテテンリュウが勝ったのを最後に残念ダービーに別れを告げ、'71年から三月に移動しクラシックのステップレースになり、最初の年の勝馬は菊花賞馬ニホンピロムーテーでした。

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