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2013/01/01 04:25

競馬との関わりを徒然に(巻十八)

'69年の桜花賞に話を戻します。調べたいことがあって、Wikipediaでトウメイの最初の調教師清水茂次氏(戦中にマルタケで菊花賞と天皇賞を勝った騎手兼調教師)を検索すると、トウメイが出て来ました。すると、トウメイは二歳の時点で牝馬No.1の評価だったとなっています。この頃の二歳重賞は今と違って関西も関東も二つずつしか無く、デイリー杯三歳Sがファインハピー、阪神三歳Sでリキエイカンの二着がヒデコトブキと実績馬がいて、それらを差し置いてトウメイの方が上と言うのは一般的と言えるでしょうか。競馬サークルや競馬マスコミ内にそう唱える人が何人かいただけではないのでしょうか。この頃のトウメイは平場や特別レースがメインの所謂「裏街道」組でしょう。そんな評価が高ければ、競馬を始めて間もない私でも耳にしたことあると思います。テンポイントの時に年明けデビューの裏街道組であるトウショウボーイを「最強」と言ったフジTVの解説者のおっさんみたいなものでしょう。しかし、このWikiにはあり得ない表現があります。「トウメイは'68年に栗東の清水茂次厩舎に入厩した」って冗談でしょう。栗東トレセンのことは以前の日記で書いた通り、移転完了で本格稼働は'70年の年明けであり、中京と阪神組は一足早く'69年の後半で、恐らく阪神所属だったと思われるトウメイもその頃移動したのでしょう。つまり、トウメイやリキエイカンは栗東への引っ越しを経験する世代でしょう。

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