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2012/12/26 00:46

競馬との関わりを徒然に(巻十二)

前回の中京の重賞レースに就いて書きますと、この年まで中京はサンドコースでした。白っぽい砂だったと思います。きさらぎ賞も中京開催なので、当然サンドコースですが、翌年タニノムーティエが勝った時は京都開催で、翌々年ヒカルイマイが関西No1のロングワンを破った時は中京の芝コースでしたから、この年から'70年にかけて改修工事をしていた様です。中京の重賞レースを調べますと、'70年の11月と12月の二箇月間で中京記念、中日新聞杯、CBC賞、愛知杯、アラブ大賞典(秋)を詰め込んで、きさらぎ賞と中京大賞典は京都、金鯱賞とアラブ大賞典(春)は小倉で代替開催していました。中京大賞典は'70年の第四回で廃止なのかと思いましたが、よく考えてみれば、代わりに高松宮杯を新設していたんですね。ビクトリアカップを廃止してエリザベス女王杯を新設したのと同じことをしていたんですね。最初から大レースとしてスタートしたビクトリアカップと違い、一介の地方重賞の中京大賞典の廃止は何とも思いませんでしたね。最も'69年の中京大賞典はダービー馬のタニノハローモアと菊花賞二着馬で、その年のタケシバオーの熱発回避で四頭立てになってしまった宝塚記念の勝馬ダテホーライが出走して、ダテホーライが勝ったんですけどね。タニノハローモアが中京大賞典を負けたことだけ覚えていて、誰に負けたのか忘れてました。

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