スマートフォン版へ

マイページ

268件のひとこと日記があります。

<< 競馬との関わりを徒然に(巻十)... ひとこと日記一覧 競馬との関わりを徒然に(巻十二)... >>

2012/12/25 19:06

競馬との関わりを徒然に(巻十一)

この'69年のタニノハローモアは年明けからずっと武邦さんが日経新春杯、中京記念、中京大賞典と手綱を取り、中京記念に勝ちました。それ以降はタニノハローモアの姿は見なかった気がします。この後ぐらいからは武邦さんがフリーになっていました。当時の関西では武邦さんだけだったと思います。その後は小野留嘉厩舎所属になり、最後に武田作十郎厩舎所属になります。去年の『優駿』での武豊騎手のインタビューを見ると、物心付いた頃から、武田作十郎厩舎の一画に住んでいた様で、武邦さんが'72年にロングエースでダービー勝った時の賞品の車を武田作十郎厩舎の厩務員さんが乗っていたと言うなれば、'72年には既に武田作十郎厩舎所属だったのでしょう。そして、'74年に河内洋騎手がこの厩舎からデビューし、豊騎手もこの厩舎からデビューします。武田作十郎調教師は大きなレースの勝ち鞍はなかった人ですが、騎手を育てた調教師として顕彰されるべきだと思います。余談ですが、この年の三月に豊君は生まれていますが、彼のプロフは京都市生まれになっている様に、栗東トレセンへの完全移転は'70年初めのことで、京都競馬場組が一番最後でした。この'69年の終わり頃には中京と阪神所属組は移転しており、レース当日は栗東から馬を運んでいたと記憶しています。

いいね! ファイト!