221件のひとこと日記があります。
2012/10/17 00:15
競馬に出会ってから 〜第4回〜
ゲートが空き、ほぼ揃ったスタートから、まずはコスモバルクが先手を奪い、スクリーンヒーロー、カンパニー、サクラメガワンダーらも好位につけます。
そして、1番人気のディープスカイは中団の外目を追走。
その直後にドリームジャーニーと池添謙一。ディープスカイをぴったりとマークしているようでした。
そして、3コーナー手前からレースが動き出します。
インティライミがコスモバルクを捉えて先頭に立つと、各馬もスパートを開始。
ディープスカイも馬群の大外を回して、直線堂々と先頭へ…!
と思いきや…
その背後から、猛烈な勢いで加速してくる馬が一頭。
代名詞とも言える、小回りコースでの強烈な捲りで、大外からディープスカイに馬体を併せます。
ディープスカイも懸命に伸びようとしますが、“その馬”とは脚の勢いや回転がまるで違いました。結局、内から上手く抜け出したサクラメガワンダーにも交わされ、ディープスカイは3着に終わります。
そして、そのサクラメガワンダーをも差し切って、最後は余裕のフィニッシュを見せた“その馬”。鞍上の騎手が、馬上で(お得意の?笑)パフォーマンスを見せて、喜びを爆発させます。
・・・僕はまだ、勝った馬がどの馬か分からずに混乱(^^;)(;^^)
その後、スローの映像が流れ、ゼッケンの9という数字と、緑色の帽子が目に入りました!
9番…
ドリームジャーニー…
単勝買ってる!!当たった〜!!!!
生まれて初めて、馬券というものが当たった瞬間でした。
宝塚記念を総決算として春競馬が終わり、季節は夏。そして、秋へ。
さすがに、まだ夏競馬を観るほどの熱烈なファンにはなっていませんでしたが、「ドリームジャーニー」という名前は忘れませんでした。
You Tubeでジャーニーの過去のレースを見たり、それこそ、この掲示板の書き込みやデータを見るようになったのも、まさにこの頃だったと思います。
そこから、池添騎手がかつてスイープトウショウやデュランダルという凄い馬に乗っていたこと、トールポピーのオークスで物議を醸したこと(^_^;)、父ステイゴールドは何年もGU+FFFDの大舞台で活躍し続け、最後の最後に香港ヴァーズで奇跡を起こしたこと、母オリエンタルアートの父が芦毛の名馬メジロマックイーンであること、そして、ステイゴールドの父であり、日本競馬に革命を起こした気性の激しいサンデーサイレンスが、メジロマックイーンにだけは心を開いていたということ…
そうやって、ちょっとずつ知識の裾野を拡げていって、今に至ります。
話を少し戻しますが、競馬を知れば知るほど、小柄な馬体で一生懸命走るドリームジャーニー
の存在が大きくなっていきました。
そして、「この馬を追いかけよう!」と決めたのです。
秋競馬が始まり、初戦の産経賞オールカマーは2着。
マツリダゴッホが逃げ切りでオールカマー3連覇を果たしたレースでしたが、ジャーニーも59キロを背負いながら、直線鋭く伸びてきていました。
上々の内容で秋初戦を終え、次に向かうレースは…
東京競馬場芝2000m。強豪が揃う秋の天皇賞。
つづく。
※写真は、引退式のときの口取り写真の様子。宝塚のときもこうだったんでしょうね(^^)
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すみれさん
私もステイのこと少しずつ知っていって、
知れば知るほど好きになりました。
他の馬のこと、歴史のこと、
今ではいろんなことを自分で調べたりここで教えてもらったり
どんどんどんどん馬バカになっていってます♪
現役の馬を好きになって追い続けてる人がちょっと羨ましい。
私は後追いだから‥。
ではでは、続き楽しみにしてますよん♪ -
おるたんさん
ジャーニーの一番活躍していた頃は、まだ競馬ファンになる前で・・・残念に思います。(><;あの小さな体で59キロは、本当に頑張り屋さんだったんですネ☆ジャーニーがいなかったら、オルくんも生まれてこなかった、と聞いたことがあります。兄の活躍があったから、「じゃあ、ステイゴールドで。」となったとか。ドリジャには感謝してもしきれません(^^)
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イチコさんがいいね!と言っています。