スマートフォン版へ

マイページ

98件のひとこと日記があります。

<< 光の解放?色の解放?形の解放?画家がそ... ひとこと日記一覧 寒い日が続きますが... >>

2018/01/08 11:29

キャッチボール

少年たちが路上でキャッチボールをしていた。
その光景に出くわした瞬間とても懐かしい気持ちになった。それと同時に、モヤっとした奇妙な感覚もあった。

そういえば、休日の昼間に野球して遊ぶ少年少女なんて見かけなくなったな。

ふとそう思った。

僕が小学生の頃は放課後の校庭で野球している光景なんて珍しくもない普通なものだった。僕の両親が小さかった頃に比べれば、数は少なくなってたのだろうけど、十数人が集まってチームを組んで試合することも頻繁にあった。
リトルリーグのチームに人が集まっているのかもしれないけれど、経済的な理由か何かでそこにいられない少年少女であっても、校庭で野球して遊ぶことは出来る。そんな光景があってもおかしくないと思うのだ。

が、休日の校庭はとても静かだ。もうずっと、いつからなのか分からないほど、そこで無邪気に遊ぶ小学生を見ていない気がする。だからなのか、突如飛び込んできたその光景から、記憶の彼方から呼び起こされたものがあったのかもしれない。

ちょっと、寂しい気持ちと気持ち悪い感覚がある。しかし、そんな気持ちが湧き上がったところで、どうしようもない。忘れるしかないのだろうか?

いいね! ファイト!

  • OperaHouseスマイルさん

    個人的に、この手の見解があまり好きではないのは、「最近の若い子は〜」とか「最近の子供は〜」とか言いたがる人は、無意識に自分を成功者なり真っすぐ健全に育った者だと自負してて、その価値観から外れた現象を切って捨てる傾向が強いから。

    私は首都圏育ちではありませんが、幼少の頃は東京湾や3大都市の河川は公害のヘドロだらけでまともな生物はほとんど住めない環境だったはずです。
    ですが、浄化活動がすすんで今の東京湾はサラリーマンが普通に帰宅途中に気軽に夜釣りを楽しんでると言います。当然、私らの世代よりもこういったことを楽しむ子供は増えたでしょう。むしろ自然な状態に近づいた部位もちゃんとわるわけ。

    世の理は「トレードオフの原則」だと私は思います。
    何かを得れば何かを失い、失ったものの代わりに何かしら便利だったり貴重なものが生み出されるものであり、人の世もそれに連れて変化するのが当然、ではないでしょうか?

    2018/01/22 00:24 ブロック

  • OperaHouseスマイルさん

    2)のケースは「環境や社会形態が変わっただけであって、危険の種類が変化だけなのでは?」というのが素朴な疑問。
    確かに私らの幼少時代は民家と田畑が共存してて夜はカエルの鳴き声がうるさかったり、昼間田んぼに入れば普通にゲンゴロウやヤゴ(トンボの幼虫)やオタマジャクシやザリガニが取れましたし、その分ケガのリスクも高かったですが、今の子供たちに比べれば通り魔的被害や不健全で歪んだ情報を受け取るリスクは少なかったです。

    2018/01/22 00:23 ブロック

  • OperaHouseスマイルさん

    以下は自分の経験や知識を元にした「類推」ですが

    1)のケースでは、「発想力が足りない」というのは一種の決めつけで、それにその方の納得できる仮説を仰られたのでしょう。出発点の「足りない」が「具体的に何が足りないのか?足りないのではなく突飛なだけだったり非現実的だったりするので自分が認めてないだけではないのか」が要検証。

    次に、「自分たちでルールを〜ためか?」の「仮説」についてですが、その若い子たちとやらのバックボーンをその方がどれだけ詳細に把握できて言ってるのか?が大いに疑問でこれも要検証。

    人間ってそんな簡単に分類できるもんじゃないでしょ?

    2018/01/22 00:23 ブロック

  • OperaHouseスマイルさん

    ペペロンジュースさん

    ご返事いただいてたのですね。
    気が付かずに失礼しました。

    1)>とある大手化学会社の生産現場の統括されているリーダーの方の話を聞いたのですが
    2)>研究室のボスの話では

    自分は、こういった「今どきの若い者は〜」的なお話をネガの方向で論評されるスタンスはあまり好きではありません(笑)

    2018/01/22 00:23 ブロック

  • アレキさん

    だから一度、全から離れてほしかった。「切ってしまった」人に訪れる怖さへの認識もそうだけど、凡人から外れる怖さも…もっと、こう…少年の熱にうかされることなく肌味痛切に感じてからにしてほしかった。ぐっとのんだ上でやるのはいい。あとの『選択』は君自身の自由、委ねられるものだ。

    こっちの世界がいいだとか、そっちはだめだとか、そんな偉そうな話を言う気はないし、知れば知るほど…自分にはわからないから。
    ケンカ別れする前、最後に「君に訳せるか?」と提示した曲、覚えてる?
    to the beginning。今の君なら訳せるだろうと思う。

    どんなかたちでも、どんななりでもいい。他人をよく知った上で、その上でならふり払うのも結構だ、がんばれと偉そうな表現も自分には合わないから、精一杯やってみて!とそれだけ。応援してるよ。

    2018/01/17 08:19 ブロック

  • アレキさん

    魂を武器にする、私はだけど、そこがおかしいわけではないと思うよ。そうであっても「自分一人」と「対峙する相手」だけじゃないよってこと。生きてきて出会った時間と記憶がないとヒトは人のかたちをとらないし、心にも腕にも構えにも支えてきてくれた人たちは宿る。敵(平和)をはらすことよりも己(想い心)をよくみて、よく感じて振り抜け(やるならやれ)と言っただけだから。人それぞれの想いを知って人を知る。恐れを知らずに一足飛びに理念だけに突き進んでしまったらそれがエクスカリバーだろうと、人を幸せにはしまいって予感だね。

    まあ、そんなことより“私にとって”まず君が幸せになれそうだと思えんとね笑
    私にとっての大事はあくまでそこになる。

    2018/01/17 08:03 ブロック

  • アレキさん

    「それも忘れないで、うまくやってほしい」なんて、我ながらうまく言ったものだ。…自分にはできなくても君にならできるかも知れない。卑怯な言い分をうまく書いてある。

    だけど、闘争しない者には間違っても託せないセリフでもある。(うまくやることよりもっと考えろになっちゃうからね笑)誰でもいいわけじゃない。少なくともこの私からこうしたセリフを引き出せるこれまでの君までが消えるわけじゃない。まあ私に世の価値がないから誰にも誇れないけど笑、多人数の価値に映らないからと、「ない」ものを「ある」と言うほど私だって無駄に眼を疲れさせ生きてきたわけじゃない。ま、君の信用はともかくとしても、私は君を信用しているということだ。

    大丈夫。

    2018/01/17 07:50 ブロック

  • ペペロンジュースさん

    環境は大きく変わりますが、ほんとうの意味で「次の一歩」を踏み出すには塾考する時間が私にはまだまだ必要みたいです。人生は短い、と年配の方に最近急かされたのですが、急いて行動して成果をあげられるほど私は器用でもないし、才もない。
    こんなどうしようもない私ではありますが、よければまたボールを投げて下さい。上手に投げ返せる自信もありませんが、また一から頑張ってみます。よろしくお願いします。

    2018/01/12 23:44 ブロック

  • ペペロンジュースさん

    「それも忘れないで、うまくやってほしい」
    私には難しいミッションです。ご存知の通り、私は一度決めて行動してしまったら単純で融通がきかない頑固者ですから。今は落ち着いた心地であっても、またいつ牙を覗かせるかわからない。ほんと「信念」という言葉は安易に美化するべきでないと思います。それは理解できない人にとっては凶器になり得るから。笑顔を大切にするなら、尚更そこへの意識を疎かにしてはいけない。
    ただ、カタルシスを求めようが求めまいが、大事なことは変わらないような気がします。

    2018/01/12 23:43 ブロック

  • ペペロンジュースさん

    先の日記で、人をゴム球に例えましたが、偉人や英霊と呼ばれるような人って、究極なまでに一定方向にゴム球を伸ばし、挙げ句の果てに復元力(伸ばしたゴムは元に戻ろうとする力が働く)から逃れるために、自ら「切ってしまった」人ではないかと思うのです。
    私にはそんなこと出来ないし、もしそうしてしまったなら色んなことを失ってしまいそうで怖くて。そうです、ほんと私は凡人の類です。だから側にある凡人の笑顔を大切にするために、凡人である視点を失わないように傲らず謙虚になろうと、ある時から少しずつ、ゆっくり思いなおしました。

    2018/01/12 23:43 ブロック

1  2  次へ