スマートフォン版へ

マイページ

19件のひとこと日記があります。

<< 【回顧録】1994年中山大障害(秋)?Vol.1... ひとこと日記一覧 >>

2011/12/20 19:47

【回顧録】1994年中山大障害(秋)?Vol.2

順調な障害飛越を続けていた出走馬だけれど
年に2回しか使用されない名物障害、大土塁(おおどるい)で
何と2番人気タイヤン、3番人気ユーワハッピーが相次いで落馬。
高さ160センチ、幅240センチという難関障害で
“打倒、ブロードマインド
の有力候補が競走を中止してしまい、場内は大きくどよめいた。
この段階で、多くの人の注目はブロードマインドの3連覇に移った。
イバルと目された馬が居なくなり、先頭に立ったブロードマインド
軽快な走りを続け、後続にどれぐらいの差をつけるかが焦点となった。

しかし、ブロードマインドにいつものような脚がないことに気付いた
観衆は、再びどよめくことになる。
最後の障害飛越を終え、後続を突き放しにかかるいつもの
ブロードマインドの姿ではなく、ズルズルと後退していく様子をみて
大波乱の予感が競馬場を包み込んだ。

そして先頭に目をやると、外からローズムーンが伸びて来て
鞍上の五十嵐久騎手が派手なガッツポーズを決めていた。

ローズムーンはこの出走メンバーで唯一の牝馬。
しかも8頭立ての8番人気、つまり最も人気のない馬だった。
これまでも後方待機策を取る戦法だったが、この中山大障害では途中までは
追走することすら一杯一杯で、実況でも
ローズムーンは大きく離されており、苦しいか」
と、完全に“圏外”扱いされていたのだ。

<4分40秒6の大逆転劇>が完結した場所は、ちょうどゴール地点。
2着のフジノスラッガーをクビだけ、差し切っていた。
これこそ、追込み競馬の醍醐味と言っても過言ではない。

この後、ローズムーンは障害戦を2回使われたが、ともに着外だった。
文字通り“一世一代”の豪脚を中山大障害で見せてしまったのかもしれない。

そしてこの中山大障害を勝ったときの騎手である、五十嵐久騎手は
このレースが評価をされ、騎乗数が増えて一流騎手への階段を登り始めた。
けれど、思わぬ形で競馬界を去ることになってしまう。
ローズムーンで勝った翌年の4月。バイク事故でこの世を去ることになる。
24歳という若さで天に召されてしまったのだ。

ちなみに、彼が生涯最後の勝ち星を挙げたのはネイビーソルジャーという馬。
障害未勝利戦だったが、10頭立て9番人気という馬を見事勝利に導いたのが
彼の最後の騎乗でもあり、最後の勝利でもあった。
もし存命であったなら“障害界の穴騎手”として、今でも
もてはやされていたような気がする。

==================================

僕が競馬を始めるずっと前。
中山大障害は今よりもっともっと注目されていた。

春のこのレースは【花の大障害】と呼ばれ、満開に咲き誇る桜並木の下を
馬が駆ける姿は、同時期に行われている桜花賞よりも歓声が大きかった。

中央競馬の1年の締めくくりは、有馬記念ではなく中山大障害(秋)だった、
と書いても今では誰も信じてくれないかもしれない。

日陰の存在になってしまった、競馬界の障害競走。
やはり買う馬券と同じように、多くの注目を集めていない分野に傾倒する
僕のこの性格は、死ななきゃ治らないのかもしれない。

お気に入り一括登録
  • タイヤン
  • ユーワハッピー
  • ブロードマインド
  • イバル
  • ローズムーン
  • ガッツポーズ
  • フジノスラッガー
  • ネイビーソルジャー

いいね! ファイト!

  • ホットスタッフさん

    私もなつかしかったです。

    2011/12/23 22:40 ブロック

  • 万年太目残さん

    >ホットスタッフさん

    コメント、ありがとうございます!
    そうでした、ユートピア牧場のゆかりの血ですよね。

    五十嵐騎手も旧姓は水流添という名前でしたね。
    ジャンプ好きな僕としては、クリスタルアスターとか
    穴っぽい馬を持ってきてくれるイメージでした。

    懐かしい気分に浸れました、ありがとうございます!!

    2011/12/23 13:44 ブロック

  • ホットスタッフさん

    ローズムーンの牝系はユートピア牧場のかまど馬セレタ。障害が得意な系統でもありますね。
    五十嵐騎手はデビュー当初は水流添という名字でしたね。

    2011/12/20 20:16 ブロック

  • ばんば馬さんがいいね!と言っています。

    2011/12/20 20:10 ブロック