スマートフォン版へ

マイページ

4件のひとこと日記があります。

<< なぜ、地方競馬の馬が中央競馬の馬に勝てな... ひとこと日記一覧 一口馬主のデメリットとは・・・ 一口馬... >>

2012/08/06 21:03

以前勤めていた、今は無き競馬場の厩務員に

以前勤めていた、今は無き競馬場の厩務員に会いに行った。

そこはすでに更地になっていて、かつての姿はもう見られない。

私を牧場から引き抜いて雇ってくれた調教師も、随分前に亡くなったらしい。
息子も調教師だったが今はバスの運転手をしている。

レースで私の馬に騎乗してくれていた、リーディングジョッキーは、化粧品屋に勤めたものの勤まることなく辞めていった。

競馬場が無くなって、馬一筋で半世紀をすごした人たちが、一度に職を失い路頭に迷った。
調教師、騎手、獣医師、装蹄師、厩務員、飼料屋、馬具屋、馬匹運送会社、競馬場内でおいしいおでんを作っていたおばちゃんまでもが、一度に。

この時、定年近かった世代の人たちは、現在競馬に携わる人間の親もしくは、祖父にあたる。
この世代が、もうほとんど現在は存在しない「本物のプロ」である。
ところが、競馬場と共にこの本当に貴重なプロたちは、役割を終え亡くなっていった。
誰もが知る、ある名調教師が、「おやじが死んだら俺は走る馬の見分けがつかない。どうしたら良いものか・・・。」とこぼしたらしい。
誰もが憧れる、走る馬しか存在しない名門厩舎の調教師。

最近は、案の定その調教師の名を聞くことはない。

夜遅くまでかつての競馬場の話をしていた。
この厩務員は、私の師である。
今、致命傷とされる屈腱炎ですら、獣医にかけることなく競馬を使えるまで治してしまう名厩務員だ。
競馬が栄えていた時代は、地方競馬でも給料袋が立つほど、賞金を稼いでいたという。
しかし、そんな過去も嘘のように、いまそこにいるかつての名厩務員は、古い小さな貸家にノラ猫と共に暮らしていた。
少々ボケも入ったのか、壁にはヘルパーさんが書き残した、火を使う時の注意事項が書かれていた。
そんな状態でも、馬の話ができる人間が来れば、当時の競馬の話を今起きている事のように話す。

競馬場に長く勤める人間ほど、馬に魅了された人間ほど、家族も友人もなく孤独な生涯を終えるものである。

いいね! ファイト!

  • iwakazeさん

    最後の一行ですが、各人の「本質」に左右されるのではないでしょうか。

    2012/08/07 04:24 ブロック