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2013/01/03 22:56

競馬との関わりを徒然に(巻二十一)

トウメイが四歳になった年にマイラーズカップが創設され、その第一回と第二回の勝馬がトウメイです。四歳時は故障で戦線離脱していた様ですが、五歳にマイラーズカップに出た時は、「まだ引退しないで、又出て来たのか」と正直思いました。このマイラーズカップと当時は1900mだった阪急杯を連勝するのですが、Wikiによれば、トップハンデの58kgで阪急杯を勝ったことで天皇賞挑戦の決断を坂田調教師が下したとのことです。でも、天皇賞を狙うなら、メジロムサシ、メジロアサマが一、二着して「メジロ記念」と言われた宝塚記念に出るべきだったと思います。この頃の宝塚記念はダービーの翌週だったんですが、この'71年に限りダービーは何故か6月13日で通常より二週間も遅く、未だにその理由が分かりません。通常のダービーデーに宝塚記念、次の週に阪急杯が施行されています。『優駿』の阪急杯の回顧にもトウメイの天皇賞挑戦は書かれていなかったと思います。故にトウメイの天皇賞挑戦は私には寝耳に水だった記憶があるのです。ただ「トウメイならひょっとするかもなあ」とも思いました。この頃は清水英次騎手に鞍上が変わっており、てっきり清水茂次さんの息子さんと思いきや、甥っ子さんと新聞に書かれてましたね。清水英次騎手が高橋成忠騎手に天皇賞でマイラーのトウメイをどう乗ればいいのか相談して、高橋騎手が「マイルを二回走るつもりで乗れ」は有名なエピソードですね。

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