スマートフォン版へ

マイページ

268件のひとこと日記があります。

<< 競馬との関わりを徒然に(巻十九)... ひとこと日記一覧 競馬との関わりを徒然に(巻二十一)... >>

2013/01/03 22:52

競馬との関わりを徒然に(巻二十)

トウメイは桜花賞二着でしたが、牡牝混合の京都四歳特別を勝ち、オークスに出た時は当然勝つものと思ってました。シンザン記念では後に調教師としてトウメイを管理する坂田正行騎手が手綱をとっていましたが、同じ佐藤勇厩舎所属で、高橋成忠騎手の兄弟子だったと思います。この頃は「何でリキエイカンがあんな馬(トウメイ)に負けたのか」と言った高橋成忠騎手が手綱をとっていました。トウメイの詳しい記録は分からないのですが、ひょっとしたらトウメイの二歳時に高橋騎手も乗っていたかもしれませんね。しかし、オークスの結果は歯痒いものでした。シャダイターキン(鞍上は森安重勝騎手-弟さんの方)、ライトパレー(カブトシローの半妹)の、鼻・1/2馬身差の三着。この結果から陣営はトウメイはマイラーと判断したかもしれませんね。秋のシーズンをトウメイがどうしていたのか記憶に無く、エリザベス女王杯の前身ビクトリアカップが創設されるのは、翌'70年のトウメイより一つ下の世代からで、この時代の三歳牝馬は菊花賞に出るか、適クラ重賞を探すかの選択だったと思います。SnowFairyがセントレジャーに出た様に、日本の三歳牝馬も菊花賞に出たらいいと思いますがね。日本はローテーションの枠を決めすぎだと思います。色んなやり方があるのに、「型に嵌めるのが大好き、ニッポンチャチャチャ」ですかね(≧∇≦)

お気に入り一括登録
  • ビクトリアカップ
  • チャチャチャ

いいね! ファイト!