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44件のひとこと日記があります。

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2021/08/04 14:54

85年前のオリンピック ~ウラヌス号、アスコット号~

8月2日の総合馬術で、JRA 職員の戸本一真選手が
ヴィンシー号と共に4位に入賞し、
「89年振りのメダル獲得はならなかったけれど
大健闘であった」というニュースを見て、

もう随分前に、国会図書館から借りて読んだ本に書かれていた
西竹一選手とウラヌス号、尾形藤吉調教師とアスコット号の
心温まる逸話を思い出しました。

89年前のロサンゼルスオリンピックの障害飛越で、
西竹一選手とウラヌス号が金メダルを獲得した快挙は、
誰もが知っている事ですが…

次の1936年ベルリンオリンピックにも
ウラヌス号は西竹一選手と共に障害飛越に出場しました。
4年の時を重ねて高齢になり、良績は修められませんでしたが
出場に至るまで更に鍛錬を積んだであろう事は、想像に難くありません。

その今から85年前の大会に、帝室御賞典(天皇賞)等17勝を挙げた
元競走馬のアスコット号が、総合馬術馬として出場しました。

私の乏しい記憶の中で、ハッキリと覚えているのは、

西竹一選手が、後に戦場である硫黄島へと赴く時、
「馬事公苑で余生を送っているウラヌス号に逢いに行き、
肌身離さず彼の鬣を胸に戦い、戦死した…」

そして、嘗てアスコット号を管理した尾形藤吉調教師が
「ベルリンに向かう港にアスコット号を見送りに行き、
自ら首に御守りを掛けてあげ…」

総合馬術で50頭中12位の成績を修めた時、
「アスコットが数々の難関を切り抜けて
(沼に填るというアクシデントがありながら)
野外騎乗でゴールに入ったと聞いた時は、
競馬に勝った時より嬉しかった」 …という箇所です。

その後、ウラヌス号は、老衰で亡くなり埋葬されましたが、
お墓のあった所は爆撃に遭ってしまったそうです。

アスコット号は、次の1940年東京オリンピックに向けて
訓練を重ねていたけれど、戦争の激化で開催中止となり、
1941年まで全国の競技会に出場した後、東京都長官に寄贈されましたが
戦時下の混乱の中で、最後の様子も没年も不明との事です。

オリンピックも競馬も、勝者になれるのはほんの一握り…
敗者として光が当たらなくても、馬達に深い想いを寄せてくれる
人達が必ずいるという事に救われる気がします。


写真/
〈上〉1932年ロサンゼルスオリンピックでの西竹一選手とウラヌス号。
〈下〉西竹一中佐とアスコット号。(wikipediaより引用)

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  • 緑野さん

    ジャッキー&ロッキーさん、いいね!有難うございます。

    2021/08/18 06:25 ブロック

  • ジャッキー&ロッキーさんがいいね!と言っています。

    2021/08/16 16:24 ブロック

  • 緑野さん

    ヤマカツサナエースさん、コメント有難うございます。

    2021/08/09 23:12 ブロック

  • ヤマカツサナエースさん

    今回の日記を読ませていただいて、ずっと昔からお馬さんと人間は繋がっている、とつくづく思いました。だからこそ、1頭でも多くの、いいえ、全てのお馬さんが、人と関われて良かったと感じるような馬生を送れるようになってほしいです。歴史を知ることは大切ですね。緑野さん、いつも大切なことを教えていただき、ありがとうございます。

    2021/08/09 14:36 ブロック

  • 緑野さん

    れおさん、コメント有難うございます。

    戦時下に生きた人達や馬達の悲惨さを想うと…
    「コロナ等に負けてはいられない!」と思います。

    硫黄島で西竹一中佐と共に戦い「硫黄島からの手紙」の主人公
    栗原忠道中尉は、馬とも深い関わりを持つ人でもあります。
    「散るぞ悲しき」/梯 久美子著 も、とても良い本なので、
    機会があれば読んでみて下さい。

    2021/08/05 10:50 ブロック

  • れおさん

    私は硫黄島からの手紙を見ていないので、さっそく見てみようと思いました。
    共有してくださりありがとうございました。

    今回のオリンピックでは、馬術以外にも、あまりにたくさんのストーリーがありすぎて、毎日目頭が熱くなります。

    コロナの収束、そして世界平和をただただ祈るのみです。

    2021/08/05 09:46 ブロック

  • 緑野さん

    アヴェノチャンスさん、今から俺は!さん、
    コメント有難うございます。

    アスコット号は、とても従順で性格が良かったそうです。
    尾形藤吉氏は、ベルリンオリンピックの1936年のダービーを
    調教師としてトクマサ号で優勝しているにも拘らず、
    「競馬で勝った時より嬉しかった」と言わしめたのは、
    アスコット号の性格の良さを何よりも愛していたからだと思います。

    西竹一選手とウラヌス号も、
    互いを想い遣る深い絆があったからこその快挙であって、
    「人馬一体」とは、高い技術の前に心が伴ってこそなし得るものだと
    改めて思い知らされます。

    来年、東京競馬場で「尾形藤吉展」が開催されると
    何かの記事で読みました。
    是非駆けつけて、当時に想いを馳せてみたいと思います。

    2021/08/05 07:32 ブロック

  • 今から俺は!さん

    そんな愛情の相乗効果が、これから世界中の競馬界を支える根底になりますように。 そう願います。

    2021/08/04 23:37 ブロック

  • 今から俺は!さん

    永遠に答えが出ない事かもしれませんが競走馬の勝者、敗者のボーダーラインはどこなんでしょう?
    例えG1を勝っても行方不明になってしまう馬、未出走でも健やかな馬生を過ごす馬。

    それは関わる人間の馬への接し方で変わってくると思います。
    現実として、たくさんの馬達が悲しい馬生を過ごします。決してテレビの中では見ることのできない現実。

    反面、溢れんばかり愛情を受けて健やかに馬生を過ごす馬がいます。たとえ未出走でも、未勝利でも。それは、競走馬としての成績は優れなくとも、人間と同じ個性とも言えるのではないでしょうか?
    人間と同じ、成績は良い方が良いに決まってます。しかし、愛情の大きさは数字にはできず、愛情の大きさと成績は比例しない方が多いのではないでしょうか?

    西中佐とウラヌス…。人馬一体。

    西中佐の大きな愛情で、その期待に応えたウラヌス。そんな2人もまた、多くの方々の愛情を受けていたはず。

    2021/08/04 23:31 ブロック

  • アヴェノチャンスさん

    はじめまして!
    今回の戸本一真選手の活躍のおかげで、戦前の馬術で唯一の
    日本人金メダルリスト西竹一氏(バロン西)がクローズアップ
    されたのを嬉しく思います。彼と愛馬たちの逸話については、
    涙なしには読めません。人馬ともに戦争と言う運命の波にのまれた
    事は残念でしたが、彼らの輝きは金メダルとともに色褪せては
    いなかったと思います。いい話をどうもありがとうございました。

    2021/08/04 20:25 ブロック