8件のひとこと日記があります。
2019/08/10 16:29
シャルさんと父アローの想い出〔3〕
レースは3コーナー過ぎから動いた。
それまで好位に付けていたアローは逃げる馬を捕えるべく進出開始。
今でも通用しそうな素晴らしい加速。
あっという間に逃げ馬の直後に取りついたアローは、そのまま4コーナーを回る。
直線に向くや否や余裕十分のまま先頭に踊り出る。
一方のタニノムーティエ。まだ中団。
徐々に詰めるが先頭に立ったアローからは6馬身の差。
まだノーステッキのアローにとって完全なセーフティリードだ、
・・・と私には思えた。
ステッキが入ったアローは更に加速。
直線坂下、二番手以下の馬を一気に突き放す。
「勝った!」そう思った。
しかし次の瞬間、追い込んでくるムーティエに気づいた。
彼の脚は、まるで1頭だけ異なる空間を走っているかのようだった。
ゴール寸前、彼はアローを捕えた。
まさに一瞬の逆転劇。完敗だった。
特に競馬に興味も無かったはずなのに、私はなぜか強烈なショックを感じた。
これ以後、私はこの時負けたアローエクスプレスという
1頭のサラブレットに心酔していくことになる。
自分も病気で同級生との「戦い」に敗れていた気分もあってか、
その想いはより強烈なものになり、
彼は、言わば「恩人」として、私の心の支えとなっていった。
この年4歳(現3歳)クラシックは、スプリングステークス終了後、
西のタニノムーティエ、東のアローエクスプレスの一騎打ちムードで大いに盛り上がった。
しかし、その後のダービーまでのムーティエとアローの戦いは、
ムーティエの圧勝に終わる。
唯一アローがムーティエに勝利したのはNHK杯のみ。
肝心の皐月賞、ダービーはアローにとっては不本意な結果となる。
振り返ってみると、
アローらしさを誇示できたのは4歳春シーズン迄の期間だけである。
当初から抱えていた脚部不安が4歳秋以降は更に悪化、
十分な調教も行えない上に、菊花賞、有馬記念など、
血統的に不得意な距離での戦いを強いられたからである。
アローは、4コーナーで一瞬見せ場を作るも、
最後の直線では脚が上がり、もがきながら馬群に沈んでいった。
〔4〕へ続く