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2010/10/06 23:35

記憶に残る一頭 その1

たらればの話しですが
一度、このチームで凱旋門賞を観てみたかったです。
岩本市三調教師・和田竜二騎手テイエムオペラオー


2000年有馬記念。パドックではこんな罵声が飛び交っていた。
罵声を浴びるはテイエムオペラオー、そして主戦騎手の和田竜二
単勝オッズは170円。勝って当たり前。それは大きなプレッシャーとなった。
いや。
それ以上に、彼にはこのレースに大きな記録がかかっていた。
年間無敗の8連勝、古馬中長距離G1完全制覇。それはシンザンも、シンボリルドルフも、ナリタブライアンですらも達成したことがない、前人未到の大記録だった。
1996年春。浦河の杵臼牧場で、岩元市三調教師とテイエム軍団の総帥・竹園正繼は栗色の牡馬を見初める。「そんなに大きな印象はなかった」と岩元は回想するが、その印象はすぐに改められることとなる。
調教が進むに連れて期待は大きく膨らみ、スタッフも素質の高さに太鼓判を押した。
その牡馬こそがテイエムオペラオーである。
やがてデビューを迎えたオペラオーだが、新馬戦では6馬身差の2着に敗れる。期待が大きかった分、落胆も大きかったが、調べてみるとオペラオーは骨折していた。幸いにも極々軽症で、年末には栗東に帰厩していた。復帰戦こそ4着に敗れたものの、この一叩きで急上昇したオペラオーは続く未勝利戦を圧勝する。
その勢いのままに挑んだ毎日杯も圧勝。
年明けには夢のまた夢だった皐月賞出走が現実のものとなった。追加登録料200万円を払って出走した皐月賞。
ここでもオペラオーは圧倒的なパフォーマンスを見せつけ、あっさりとG1初戴冠を果たす。
骨折というアクシデントをも乗り越え、順風満帆に見えたオペラオーだったが、この後徐々に歯車が狂いだす。
全てとは言わないが、原因は主戦騎手の和田にあった。皐月賞馬として挑んだ日本ダービーでは早仕掛けが原因で敗戦。
まだまだ地方回りが主だった若手の和田にとって、初めての日本ダービーが皐月賞馬だった、そのプレッシャーを考えれば仕方がない部分もあった。
しかし、クラシック最後の1冠・菊花賞でまたも和田の騎乗ミスで敗れてしまう。
この騎乗が、総帥・竹園正繼の逆鱗に触れる。
和田を降ろせ!
竹園は岩元に迫った。
しかし岩元は頑としてこれを拒否した。
時として調教師が盾になってやらねばいい騎手は育たない。
それは岩元の師匠・布施正の教えでもあった。
結局、竹園は岩元の熱意にほだされ自分の提案を取り下げた。
そして二度と、騎手の交代を口にすることはなかった。とはいえ、一度狂った歯車が元に戻る事はなく、必勝を期したステイヤーズSでは格下のペインテドブラックに金星を献上する。
逆に有馬記念では、グラスワンダースペシャルウィークの2頭と接戦を演じる
ものの、あと一歩のところで金星を逃した。
このレースで評価を上げたものの、陣営の鬱憤を晴らすには程遠かった。

年が明けて2000年。
竹園はスタッフに盛んに激を飛ばすようになった。

「絶対に負けるな!」

「今年は一度も負けるな!」

竹園の強気な性格を知るものは軽く受け流していたようだが、ただ一人、主戦騎手の和田だけは受け流す事ができなかった。
前年に作った借りを返すには、本当に一度も負けるわけにはいかない、そう思っていた。
年明け初戦の京都記念で久々の勝利を得ると、返す刀で阪神大賞典も勝利。
迎えた春の天皇賞では、ナリタトップロードに絶望を与えるほどの会心の勝利をもぎ取った。
終生のライバルメイショウドトウとの初顔合わせとなった宝塚記念。
苦しい戦いにはなったが、怒涛の追い込みで勝利。
2000年上半期を本当に全勝で走り抜けた。
それだけでも物凄いことだ。
しかし、本当の苦しみはまだ先にあった。

秋初戦の京都大賞典を当たり前のように勝利したオペラオーだったが、このころから他の陣営からのマーク、
そしてマスコミの論調は非常に厳しいものとなった。
オペラオーに勝つ=レースに勝つ、そんな思いを抱いて挑んでくる挑戦者達。
秋の天皇賞こそ上手く抜け出して勝ったものの、続くジャパンカップでは周囲を取り囲まれながらもほんの少し開いたギリギリの隙間を抜けて勝利。

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