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2018/12/01 04:57

ヒサトモ 3 もうひと記事見つけた

1.2の記事より古い記事と思われるのが出てきた。
テイオーが年度代表馬になったぐらいに書かれた記事のよう。
こちらは血の物語が描かれていた。

・・・テイオーの母系の方は、ほとんど話題になることはなかった。せいぜい、母がオークス馬トウカイローマン
の妹だっだことが人々の口に上がるだった。
だが、トウカイテイオーの母方の血はテイオーとルドルフの「父と子の物語」より、一面でははるかにドラマッチック
な背景を持っているーーー。

・・・・ヒサトモが病死した後、後に2頭の産駒が残った。
そのうち1頭は種牡馬になったが、活躍馬を出せないまま消えていった。名牝ヒサトモの血は、敗戦の年に生まれた牝馬ブリューリボンが細々と伝えるだけになった。
ヒサトモの血は、やがて途絶えてしまうだろうと、多くの人が考えた。しかし、ヒサトモの血は消えてしまことはなかった
。ブリューリボンの娘、トップリュウからは特別勝ちの馬を含め数頭の活躍馬が出た。
その中の1頭にトウカイクインがいた。トウカイクインは、その名の通り、トウカイテイオーの馬主、内村正則氏の持ち馬である。トウカイクインは内村氏がはじめて持ったサラブレッドだった。・・・
はじめての持ち馬が活躍し、内村氏はこの血統に強い愛着を持った。血統には疎い内村氏だったが、調べていくうちにトウカイクインが悲劇的な死を遂げたヒサトモの血を細々と受け継がれたヒサトモの血に対する内村氏の愛着は一層強くなった。
トウカイクインが繁殖に上がると、内村氏は、その産駒をすべて自分の手元に置くことにした。
・・・しかし、受け継がれたヒサトモの血が華々しく開花するところまでは行かなかった。77年、3頭目の産駒、
トウカイミドリが生まれた。ミドリは3歳時、4戦して勝ち星を一つ上げたが、故障で薬殺される寸前だった。
それでもなんとか繁殖牝馬として牧場に帰ることができた。ミドリの幸運を喜んだ内村氏は、種付け料を奮発して、新種牡馬のブレイヴェストローマンをつけた。そこから生まれたのがトウカイローマンである。
・・・そして、これを使ったら繁殖入り、と決まっていた87年春の新潟大賞典で2着に好走した。そのため、繁殖入りを遅らせ、さらに現役を続けることになった。・・・同い年のシンボリルドルフを交配する予定だった。だが、現役を続けることになったため、内村氏は代役の花嫁を探さなければならなくなった。そこで選ばれたのがローマンの1歳下の妹、トウカイナチュラルである・・・・・・
名牝ヒサトモの血は、半世紀以上の時を置いて、トウカイテイオーで見事によみがえった。
わずか1頭の産駒によって、細々と受け継がれた血脈から、トウカイテイオーのような活躍馬が現れたことは、血を巡るドラマの多い競走馬の世界でも、やはり稀有なことといえるだろう。

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