402件のひとこと日記があります。
2017/07/15 02:03
薩摩隼人 小田久と孫市和尚(行者水晋)
小田 久
自分の若い頃に雰囲気がよく似た薩摩隼人の義弟です
自分は宮崎が田舎だが彼は鹿児島だから更に気性が荒い
しかも、京都の一流料亭で修行した男だから和歌山に来た時はヤバいなと思ったよ
本格の修行を積んだ人間が和歌山なんかで商売しても絶対に成功しないからだ
今時、珍しいが久は非常に義理堅い性格だ
これも、和歌山では良くない
和歌山で義理だの人情だの言ってれば自分のように利用されるだけだからね
何とか考え方を和歌山に合わせるように話もしたがこんな自分が言っても説得力なんか無いわな
案の定、京都の一流料亭仕込みの味なんか和歌山の人間に理解出来る訳もなく久の商売は順調ではなかった
しかし、久の切り替えは見事だった
もう、和歌山を捨てて大阪で頑張ると決心したんだよ
普通、和歌山の人間ならあんな決断は出来ない
ダラダラ続けて周りに迷惑を掛けるだけ掛けて最後はナアナアで終わらせて借金があっても無いもん払えるかと居直る人間が殆どだ
毛利智仁のように20年来の付き合いだからこそ書類も交わさず〜百万を貸してあげても散々、嘘で話を延ばしに延ばして最後は1円も返さずに借りてないし証拠も無いと言い出す始末だ
そんな、毛利智仁みたいな人間でも和歌山では許されるんだわ
今では親子で飲食店を営んでるらしい
全く持って悪い和歌山人の象徴のような男だった
こんな、和歌山で久みたいな一本気を絵に描いたような性格の男が合うはずは無かった
今は、大阪で義理を返しながら頑張ってるようだ
久との思い出は沢山有るが何が一番の思い出かと問われても答えられないな
それだけ、久とは短かったが濃い付き合いをしてたって事よ
久が和歌山に居る時は自分は孫市和尚だった
小田久と孫市和尚
もしも、同じ歳だったとすれば生涯二個1の友だっただろう
いつも、2人で何かと勝負してたに違いない
まあ、何の勝負をしても似たかよったかで勝ったり負けたりだったかな
だが、お互いに絶対に勝てない事がある
薩摩隼人
隼人は古代日本においてハヤブサのような人って形容もある
孫市和尚のパンチはハヤブサ並みの速さ
小田久の真ん中の足もハヤブサ並みの速さ
狙った獲物は逃さない目的は同じでも孫市和尚はパンチで男を突いて小田久は真ん中の足で女を突く
随分と小田久はええじゃないの…
女を護ったれよ!
久ちゃん!
又、会おうぜ!