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2016/08/27 21:30
雑賀衆雑賀孫市の魂と歴史其の壱(孫市和尚)
雑賀孫市は歴史上でも謎めいた部分が多い人物で誰を今の時代で言う雑賀孫市かハッキリと判らないようだ
自分が、雑賀孫市って名乗りだしたのはITの世界に入ってからだった
雑賀孫市が謎めいた人だったし和歌山出身だったから自分も名前を使わせてもらった
今では孫市和尚の方の名前で通ってるのかな
雑賀さん
孫やん
和尚
皆、バラバラに呼んでるよ
昔から自分が東京へ出て行った時は普段は好敵手同士の上場企業の若い子達もその時だけは普通の若い子達に戻ってたよ
雑賀孫市って名乗ってる見た目は極道丸出しみたいなオッサンが中心になって今じゃ到底、考えられない面子が揃って飲みまくって食いまくって吐きまくった
もう、10年以上も前になるんだな
10年以上前に集まってた若い子達も今では随分と出世したよ
今では、その子達の部下だった子達の部下の子達までが来るようになった
自分の扮する雑賀孫市は彼等からすれば憎めない悪役って感じなんだろうな
彼等から見れば自分なんかは社会的地位を考えるとゴミ同然みたいなもんだったろう
歴史上の雑賀孫市も似たようなもんだ
大名でもないし和歌山って地方の一豪族にしか過ぎなかった
今もそうだが和歌山ってとこは協調性が皆無な土地柄だ
雑賀孫市の生きた時代もそうだったようだ
雑賀孫市は和歌山に散らばる豪族達のまとめ役だっただけだ
自分も同じだ
個人で儲けてた金融メディアが集まって自分がまとめ役だったってだけだ
上場企業からすれば雑賀衆って名乗ってた我々を味方にすれば毎月、とんでもない数字の収益を上げるから抱えておきたいが法人化してる奴なんか1人も居なかったからやりにくかった事だろう
だから、まとめ役の自分とは仲良くしてくれたんだと思う
でも、実は自分も大変だった
雑賀衆とか言ってても所詮は個人メディアの集合体だから会社ではなかったから指示や命令が出来なかったからだ
身内同然だった明石や山村は自分の言う事を聞いてくれたが他の連中は自分の仲間でいれば金融広告が途切れる事無く超高単価で貰えるから寄ってきてただけだもんな
揉め事やクレームも全て自分が解決するか自分が動けない時は明石や山村に交渉してもらったりしてたから寄ってきてたメディア連中はやりやすかっただろう
最終的に雑賀衆は自分と明石と山村一家と自分の彼女とで運営していく事になるのだが続きは次回という事で