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2016/06/20 23:01

大ボケ孫やん1

勝負

何事にもこの二文字が当てはまります

人生そのものが勝負と言っても過言ではないでしょう

勝負に綺麗も汚いもない

勝てば官軍の言葉通り勝った者こそが称賛されます

自分の好きな言葉だったのですが記録に残るより記憶に残るのが良い

若い頃は本当にそう信じて人生を闘ってきました

そして、今も闘いは終わっていません

只、記憶に残ろうが残らまいが負けたら全てが終わり

今では、完全に考え方が変わりました

小さな枠でしか生きていなかった自分がITの世界で本当に大きい世界を目の当たりにしたからでしょう

今までの10余年はITはITでも何と小さな世界であったのかと痛感しています

和歌山では到底、考えられない人脈を構築して東京在住でなくとも上場企業の幹部連中と懇意にしてもらっていた事で満足していた自分の小ささをただただ恥じいるばかりです

今後も、どうなるかは神のみぞ知るところですが精一杯頑張っていきたいと思います

又、いつ忙しくなってブログを更新出来なくなるか解らないので少し自分の若い頃の大バカな話でも数回に分けて書いてみる事にしましょう

自分は和歌山の和歌山市で育ちました

最初に働いたのは住金でした

実に退屈な毎日だったように思います

単純な性格だったのでテレビで海外の難民の子供達の特集を見て何とか自分も力になれないものか?と考えてた時に兄弟のように仲の良かった男に競輪に行こうと誘われて行ったんだった

その時のメインのレースに京都の山本真也って選手がいたっけな

身長と年齢は自分と全く同じ

体重は彼の方が10キロ以上重かった

レースを観てて山本君の勝ち方が本当に格好良かったなと思ったんだよな

その時に競輪選手の賞金を見て驚いた

1着賞金50万ってどうよ!ってな感じだったよな

今、思えば本当に若かった

50万あったら半分を海外の子供達にあげても自分は25万も残るから競輪選手になろうって簡単に決めてたもんな

何せ、その頃の自分の給料は住金の中でショベルやブルに乗って手取り1ヶ月20万ちょいだったから25万もあったら焼き肉も目一杯食えるよなと思ったもんだ

そして、次の日に知り合いの自転車屋に行って自転車買って買った後に気付いたんだよ

自分の買った自転車はロードで競輪の自転車はピストってやつで全然違うやんか!みたいな大バカだった

続きは次回という事で(`∇´ゞ

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    2016/06/21 00:03 ブロック