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2017/12/26 16:34

イスラボニータ物語 第5章〜第6章

イスラボニータ物語 第5章・天候さえも味方につけた強運の持ち主

年が明けた3歳になった春、イスラボニータは新潟2歳S2着・東京スポーツ杯2歳S1着という実績から、既に日本ダービーに出走するには充分な収得賞金を積んでいた^^ 通常皐月賞へ向かう有力馬たちは、ステップレースとして弥生賞などを使うのだが、イスラボニータはそれまで十分な間隔を取りつつレースを使ってきたため、その時の調教の調子の良さも手伝って、ステップレースは弥生賞などよりかなり早い時期に開催される共同通信杯が選ばれた^^

ところがこの共同通信杯^^; 開催予定の週が大雪で土日開催中止となり^^; おまけに前の週まで大雪で土日開催中止となっていたため^^; 1週間後の月曜に開催されるというとんでもない変則開催(8[土]→10[月]・9日[日]→17[月]・15[土]→18[火]・16[日]→24[月])になってしまった^^; にもかかわらず実際に共同通信杯が行われた日は快晴で、コース脇に雪の山が残る中を快走し、またも快勝を遂げるのだった^^

もしこれが中途半端な雪で、開催が延期されることなく不良馬場の中を走らされていたら^^; おそらく馬の疲れも相当に残り、当初の十分な休養のための共同通信杯という選択が逆に仇となって、本番の皐月賞で悪影響が出ていたのかもれない^^;

2週にわたり大雪で開催が中止されるという、おそらく日本競馬史上初めての出来事の中で、イスラボニータが走る代替日だけが快晴という状況は、まさにイスラボニータの強運がなせる業でもあったのだと思う^^

余談だが、後に、この共同通信杯から皐月賞に向かった馬たちが連続して皐月賞を制覇したことから、共同通信杯は皐月賞の重要なステップレースとして認識されるようになる^^ これもイスラボニータが開拓した実績があったからこそとも言える^^


イスラボニータ物語 第6章・父フジキセキが成し得なかった夢・皐月賞制覇

大きな期待と不安の中、いよいよ皐月賞を迎えたイスラボニータ^^ 下馬評では、多くのフジキセキ産駒から推測された2000mという距離不安の壁、東京コースと新潟コースしか経験していなかったイスラボニータにとっての、初の右回り、しかも重い馬場の中での最後の直線で急坂のある中山競馬場^^ 案の定、人気は前走同じコースで行われた皐月賞トライアル弥生賞を圧倒的1番人気で勝ったトゥザワールドだった^^

そんないくつもの困難が待ち受けるクラシック本番・皐月賞であるにも関わらず、返し馬からスタート位置に向かうイスラボニータの姿は、観客に顔を向けたまま走る余裕っぷり^^; ここは本番なのだから、しっかり前を向いて走って準備してほしいという気持ちとは裏腹に、ここでもファンサービスたっぷりの仕草で、真剣勝負前であるにも関わらずつい笑ってしまうほどの姿を披露するイスラボニータに対し、「この馬は一体どこまで余裕があるのだろう」とある意味達観した姿をそこに見たのだった^^

そしてやがてスタートが切られ^^ またもイスラボニータの強運が働く^^ 中団位置を追走したイスラボニータの周りだけがぽっかりと穴が開き、他馬を気にすることなく最後の直線までの充分に力を蓄えることが出来る展開になったのだ^^

それが起因して、最終コーナーを外から捲るイスラボニータには絶好のスパートとなって、途中坂で身体が浮きあがったものの、そのまま前を行くトゥザワールドを差しきって、父フジキセキ(4戦全勝で皐月賞トライアルの弥生賞を勝ったにも関わらず直前で屈腱炎が判明し無念の引退となった)が出走さえ叶わなかった無念の皐月賞で、その息子であるイスラボニータが父の悲願を叶える形となり、見事に皐月賞を制覇したのだった^^

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