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2016/08/08 23:27

37度平熱

いつもは自分で買っていた月刊優駿。
写真がめちゃめちゃ綺麗だったのと、重賞勝ち馬の血統やブラックタイプが細かく載っていたページが好きだった。
あと1番後ろにあった山河さんの読者ページ面白かったな。

ある時、部活が忙しかったか何かで母親に「優駿買ってきて」と頼んだら…
買ってきたのは競馬王。
なんじゃこりゃあ!とつまらん親子喧嘩が勃発(笑)
捨てるのもったいないし仕方ないのでしぶしぶ読んでみるとこれが意外と面白い。
当時ダビスタが大盛り上がりでダビスタ四天王とかあの辺ももちろん良かったんだけど、それよりも。

その頃の自分は競馬をいちスポーツとしてしか捉えてなかったので、競馬でどうにかして儲けてやろう( ̄▽ ̄)という競馬王の雑誌の作りと、優駿とは一味違ったライター陣の書く文章が大人の世界をちょっと覗く感じで新鮮だった。
カネトシシェーバーの矢作調教助手(現調教師)のコラムもあったなぁ。
そんな訳で次から優駿と競馬王、月に2冊買うようになった。

その競馬王の中でも自分の琴線に触れたのが今井雅宏さんのMの法則だった(当時はまだMの法則という言葉は使っていなかったが)。
最初の方に読んで今でも覚えてるのは、タヤスツヨシのダービーを例にとった鶴留厩舎などの勝負時計の話。
各厩舎、調教師はそれぞれ意図を持った調教をしており、鶴留厩舎は最終追い切りでCWコースで馬なりでこの時計なら狙い通り仕上がっているので勝負、といったような内容だった。
さすがに中学生の自分にはコア過ぎたf^_^;)
厩舎周りのトラックマンならまだしも、おそらく今から20年以上前の競馬ファンも「坂路で好タイム=能力高そう、好調」といった程度でこういった時計の解釈は一般には全く浸透していなかったと思う。

回収率(値)という概念を最初に競馬へ持ち込んだのは、多分須田鷹雄さんだと思うが、自分が最初に触れたのは今井さんからだった。
この時、テラ銭でJRAにおおよそ20パーセント取られていたのも初めて知った(笑)

「2000メートルも走って着差はわずか0.1秒そこそこ。あやふやな馬の強さよりも適正や近走の経験が着順を左右する」
という概念は当時あまりに斬新だった。
この根っこの部分が今も活躍している(?)弟子の亀谷君はもちろん、今の自分にも大きく影響を与えているのは間違いない。

初めて競馬王を読んでから数年が経ち、部活少年の面影などなくなってきた頃。
世の家庭にインターネットが徐々に普及し始めた頃。
Mの法則をきっかけにいろんな人との出会いや縁が出来たのだが…それについてはまた別の機会に( ´ ▽ ` )ノ

さて、競馬界全体の話に戻ると。
サンデーサイレンス産駒が登場し、フサイチコンコルドの音速の末脚が炸裂したり、サニーブライアン大西がシビれる逃げを打っていたあの時代。
次回はサンデー、ブライアンズタイムトニービン、いわゆる御三家の時代を振り返ります。

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