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654件のひとこと日記があります。

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2012/06/07 22:52

私が愛した忘れられない牝馬 その1

サンエイサンキューとい芦毛の牝馬を覚えていますか?
1992年にクラシックを走っていたので若いファンは知らないでしょうか。
彼女のことを思い出すと、これを入力しながらでも涙が出ます。
私の中では思い出として美化されず、やりきれなさと悲しさが何年たっても忘れられません。
彼女は2歳で新馬3連闘(昔は出来た)、そしていちょうSを勝ち、現在の阪神ジュベナイルを2着、3歳になってクイーンCを勝ち、このあたりまではちょっときついローテーションですんだと思いますが、その後なぜか弥生賞挑戦で6着、そして桜花賞7着、オークス2着、この時点でふつうは秋まで充電ですよね。ところがその後札幌記念に挑戦し優勝(騎手いわく、人生最高の出来とのことでした)
さらに函館記念・サファイアS・ローズSと出れるレースはすべて出ましたという感じで、目標のエリザベス女王杯のころには調子は下降気味。ここで当時主戦の田原元Jが「調子は悪いよ。こんな状態で勝てるわけない」という発言が物議をかもし問題になりました。それでも5着、これで3歳としての責任は果たしたと思ったらまさかの有馬記念挑戦。
普通の人なら考えられないローテーションでした。案の定最後の直線で競走中止。明らかに疲労骨折と思います。あの日自分は泣きながら歩いて西船橋まで歩いたのを覚えています。
翌日の新聞を読むのが怖かった。でも取りあえず無事で手術を受けるとのことでした。
関係者の方は正月もなしに必死に彼女に寄り添い、3度の手術を経て何とか牧場に帰れる身になりました。翌年4月のことです。
その年と次の年、牧場にお見舞いに行きました。たくさんの千羽鶴やお見舞いのにんじんに囲まれて、彼女はまがった足で必死に大地を踏みしめていました。
そして忘れもしないその年の10月21日、普段平日は買わない東スポをこの日買ったのは神の知らせだったのでしょうか。そこには「サンエイサンキュー、4度の手術後に心臓まひで死亡」と。体が震え、一晩中泣いていたのを覚えています。
後から後からいろいろなコメントがありました。「だから安楽死させればよかった」とか・・
でもそれは違うと私は思いました。怪我をしてから1年10か月、多くの方がどれだけサンキューのために手を尽くし、愛し、生還を望んだか・・・それは人間のエゴで馬にとってはつらい年月だったのかもしれないけれど。
馬主と調教師は許せない!! だけど多くの人に愛された彼女は幸せだったと思う。そう思わないとやりきれないから・・・
だめだまた涙が出てきた・・・
競走馬は経済動物です。でもそれにそそぐ愛情の深さは人によって違います。彼女の人生はなんだったんだろう。お母さんになりたかっただろうなぁ。サンキューにはいろいろなことを教わりました。それを少しでも皆さんに知ってほしかった。
長い文章でゴメンナサイ

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  • ヒィーさん

    こんばんは、、日記、読ませていただきました、、
    彼女が、がんばって結果を出し続けた故に、起きた悲劇、、やりきれない、哀しい気持ちになりますね。
    サンエイサンキュー、、オーナーには恵まれなかったですが、アイバイノチさんのように、心優しいファンの方々に愛されて幸せだったと思います。。、久しぶりに思い出しました、、いまごろは、天国の牧場でのんびり草を食んでるような気がします、、、。

    2012/06/08 00:12 ブロック

  • アイバイノチさん

    シンデレラのお姉さん、ありがとう!!
    少しは救われました。

    2012/06/07 23:07 ブロック

  • シンデレラのお姉さんさん

    こんばんわ。
    私は、競馬人生まだまだ若いので、サンエイサンキュー号のことは知りませんが…
    4度も手術を受けた馬がいたのですネ…
    曲がった足?そんな足にしたのは〜人間のエゴです!馬主や調教師は馬のことを考えてレースを選ぶべきですよね!何でもかんでも出りゃいいってもんじゃないと思います。
    競争を終えて引退後…無事に種牡馬や繁殖牝馬になれるように馬主や調教師も考えて欲しいですネ!
    哀しくて切ないエピソードをありがとうございました…
    サンエイサンキュー号のご冥福をお祈り致します…合掌

    2012/06/07 23:03 ブロック

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