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2015/03/14 23:56

新聞の有り難み。

時は少し過ぎてしまったが、今までの人生で一番過酷だった3.11の話を少し。

たまたま休みだった私は、パチンコをやめようとパチンコで勝った金で得たプレステ3をパジャマのままゴロゴロプレイ。
嫁もたまたま検診日(妊娠8ヶ月)で病院へ。嫁はいつもなら検診終わっても夕方まで実家にいるハズが、母に『たまには夫婦で子供を遊びに連れて行きなさい』と言われたらしくお昼頃子供を連れて現れる。これが運命だったんでしょうね。

用意する間もないためパジャマの上にジャージを来てショッピングセンターへ。そこであの地震です。
私の家系は漁師でして、小さい頃から親父やら爺婆に『津波が来たら何も持たなくていいから、とにかく山とか高い所に逃げろ。とにかく走れ』と口酸っぱく言われてました。そのお陰でしょうね。車は渋滞しかねないし、屋上に停めたから取りに行かなくても良し。と子供を抱き嫁の手を引き屋外の一段高い所へダッシュ。

すると防災無線が『大津波警報が発令されました』と。今まで津波警報までは聞いた事ありましたが、大津波は人生初。これはヤバいともっと高い所へ。そこで嫁が『お母さん大丈夫かな?』と。私は『逃げてるハズだからとにかく逃げよう』と。

それから15分後位にアレが来ました。家屋が壊れる粉塵と共に。夢中で山の斜面を走りました。斜面から見る景色はスゴかった。バキバキと。プロパンガスが至るところで爆発。に伴い火災。そして雪が降ってきました。寒いのなんのって…

だから新聞紙をグシャグシャに丸めて服の中に突っ込み、余った新聞紙を背中に…これが温かいのなんの。新聞紙まで来るのに長かったですね…

巻きます。結果、嫁の母さんはダメでした。ずっと泣いてました。1週間も2週間も。泣きがおさまった頃オレはポロっと言いました。
『お母さん助けれなくてゴメン』と。

嫁はまた泣きました。そして嫁は言いました。
『私と子供助けてくれてありがとう』と。

私は泣きました。

もっとね、もっともっと細かい色んな出来事があるんですがね、言ったら切りがないです。
とりあえず皆さん。命は大事に。津波だけじゃなく、自然災害やら戦争やら、逃げて助かるなら逃げましょう。
『逃げるが勝ち』こんな言葉がありますが、その通り。逃げてる人をを笑ってるヤツは最後笑えません。笑われても逃げたヤツが最後笑います。とにかく楽しく生きましょう。以上です。

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  • はるるんさん

    自分はその日、ニュースを見たり聴いたりしてなくて夕方知りました。何コレ!の一言で状況がさっぱり飲み込めませんでした。時間が経つにつれて情報や映像が詳しく放送されましたが、知れば知るほど悲惨な災害でしたね。特に小さいお子さんを亡くされた方々の気持ちを考えると自分も二人のチビを抱えてる身なので痛切な気持ちで涙が出ました。命は永遠ではないけれど、こんな別れは嫌ですよね。
    でもこれがきっかけで家族の絆、地域の絆が深まればいいですね。

    2015/03/15 01:22 ブロック

  • REOさん

    的場とボンちゃんさんが、あの震災を体験されていたとは知りませんでした。想像以上の恐怖だったろうと、読んでいてショックでした。命の大切さを痛感しました。
    義理のお母様は本当に残念でしたね…

    2015/03/15 00:22 ブロック

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