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2012/05/30 14:17
2、ヤマニングローバル 成績29戦5勝
2、ヤマニングローバル
成績29戦5勝
ウィキペディアより引用
1989年9月、武豊を鞍上に阪神競馬場で初戦を迎える。デビュー前から評判[1]となっており、当日は単勝オッズ1.3倍の1番人気に支持された。ここを2着に3馬身差を付けて優勝すると、次走も連勝。迎えたデイリー杯3歳ステークスでは、重賞初出走ながら単枠指定された。ここも好位から抜け出すと、最後は武が手綱を抑えるほどの余裕を見せ[2]ながら2着に2馬身近い差を付けて優勝。重賞初勝利を挙げた。優勝タイム1分23秒1はレコードタイムから0.2秒差という好タイムだった。
しかし、入線後に武が馬を止めようとした際、ヤマニングローバルは馬場の窪みに足を取られ、バランスを崩した際に右前脚を骨折。その場で馬運車に収容された。検査の結果、右前種子骨が縦真二つに割れており、通常ならば安楽死の措置が取られる重傷であった[注 1]。この骨折に武が「来年のGIを4つ(クラシック三冠、有馬記念)損した」と発言する[3]など期待も非常に大きかったことから、陣営は治療を選択。割れた骨を2本のボルトで繋ぐ手術が行われ、以降は復帰に向けて厩舎内での回復が図られた。
ヤマニングローバルの再生 [編集]
騎手がエアロフォームの勝負服を着用してレースに臨んだのは、武豊がヤマニングローバルに騎乗したときが最初であったが、同馬は2歳時に将来を嘱望されながら右前脚に致命的な骨折を生じ、一時は安楽死の措置さえ検討された。しかし浅見はこの再生に努め、やがて復帰したヤマニングローバルがアルゼンチン共和国杯で約2年振りの勝利を挙げると、浅見厩舎のスタッフにはファンのみならず競馬関係者からも賞賛の声が寄せられた。
この馬は、ミスターシービーの代表産駒である。
ミスターシービー産駒は、G1馬を輩出していない。
ヤマニングローバルは、嘱望されながら右前脚に致命的な骨折がなければG1も勝てただろうし、種牡馬にもなっていたと今でも思う。
奇跡の馬、トウカイテイオーのように、、、なれなかったが、記憶に残る1頭には変わりはない。
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栄光の彼方さん
アイバイノチさん はじめまして、、、
ヒィーさん こんにちは、、、
コメント ありがとうございます。。。
アルゼンチン共和国杯、若い時のノリちゃんがやってくれましたねぇ(笑)
浅見国師にとっても忘れられない勝利になったと思います。。。
厩舎関係者・獣医の方の協力がなければ復活はなかったし、浅見国師の願いと執念が実った復活の勝利だと私は思います。
1番人気で勝利した目黒記念も思い出のレースですねぇ。
2着に同種牡馬のメイショウビトリアが絡みましたから、、、
天国へ逝ってもこの馬のことは、忘れないでしょうねぇ。
情熱と魂しいの結晶ですから、、、 -
ヒィーさん
、、あきらめずに、その馬と対峙して、最善を尽くす、、
二頭とも、浅見調教師だから、復活を遂げることができたのかも知れませんね。。 -
ヒィーさんがいいね!と言っています。
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アイバイノチさん
ヤマニングローバルは私が競馬を始めた年に「去年の3歳にこんな強い馬がいたんだよ」と誰かに教わった馬です。復帰後ずっと足元を心配しながら応援していました。アルゼンチン杯に勝った時は思わず涙でした。彼は競走馬として出来ることをすべてやりつくした馬だと思います。
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