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2021/01/13 19:37
過去の思い出 2001年 第41回 京成杯
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第41回京成杯(G3)
2001年1月14日 1回中山6日目 3歳オープン (混)(特指)(別定)
着 順 |
枠 番 |
馬 番 |
馬名 | 性齢 | 斤量 | 騎手 | タイム | 着差 | 単勝 | 人 気 |
馬体重 | 調教師 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 6 | 9 | ボーンキング | 牡3 | 55 | ハリソン | 2:03.2 | 4.9 | 3 | 506(-4) | [西] 松田国英 | |
2 | 8 | 14 | マイネルエスケープ | 牡3 | 55 | 蛯名正義 | 2:03.3 | クビ | 4.7 | 2 | 504(0) | [西] 佐々木晶 |
3 | 6 | 10 | ロイヤルキャンサー | 牡3 | 55 | 北村宏司 | 2:03.5 | 1.1/4 | 22.9 | 8 | 448(+2) | [西] 森秀行 |
4 | 7 | 11 | プレジオ | 牡3 | 55 | 横山典弘 | 2:03.5 | アタマ | 2.6 | 1 | 432(+14) | [東] 藤沢和雄 |
5 | 3 | 4 | コスモリバーサル | 牡3 | 55 | 小林淳一 | 2:03.5 | ハナ | 12.5 | 5 | 486(-10) | [東] 後藤由之 |
6 | 2 | 2 | マイネルカーネギー | 牡3 | 55 | 吉田豊 | 2:03.6 | クビ | 10.1 | 4 | 470(+6) | [東] 稲葉隆一 |
7 | 1 | 1 | トーアコマンダー | 牡3 | 55 | 大西直宏 | 2:03.6 | ハナ | 36.7 | 12 | 474(0) | [西] 崎山博樹 |
8 | 4 | 6 | エーピーキングダム | 牡3 | 55 | 江田照男 | 2:03.6 | ハナ | 19.4 | 7 | 462(+8) | [東] 藤原辰雄 |
9 | 5 | 8 | ユーワレキシントン | 牡3 | 55 | 岡部幸雄 | 2:03.8 | 1.1/2 | 29.5 | 10 | 488(+4) | [東] 堀井雅広 |
10 | 3 | 3 | マイネアクティース | 牝3 | 53 | 小野次郎 | 2:04.0 | 1.1/4 | 35.2 | 11 | 414(+4) | [東] 斎藤宏 |
11 | 5 | 7 | シュアハピネス | 牡3 | 55 | 柴田善臣 | 2:04.2 | 1.1/4 | 19.1 | 6 | 460(0) | [西] 新川恵 |
12 | 4 | 5 | ハセノスマイル | 牡3 | 55 | 嘉藤貴行 | 2:05.0 | 5 | 217.4 | 14 | 458(+4) | [東] 後藤由之 |
13 | 7 | 12 | スガノリベンジ | 牡3 | 55 | 的場均 | 2:05.6 | 3.1/2 | 84.8 | 13 | 480(0) | [東] 上原博之 |
14 | 8 | 13 | オリサーバ | 牡3 | 55 | 田中勝春 | 2:05.9 | 1.3/4 | 26.7 | 9 | 484(-2) | [西] 伊藤雄二 |
払い戻し
-
単勝 9 490 3 複勝 9
14
10210
160
6403
2
10枠連 6 - 8 900 3 馬連 9 - 14 1,220 3 ワイド 9 - 14
9 - 10
10 - 14510
1,820
1,6703
27
23
過去のレースの思い出、馬券自慢を勝手に語ってみる企画。
今回は2001年に行われた京成杯を振り返る。
まずは個人的な背景から先に言うと、競馬を始めた当初は京成杯そのものがあまり馴染が無かったレース。。関西の人間からすると馬場が読みにくい時期での関東圏のレースだったし、関東馬の情報が著しく少ないという背景もあった。しかしちょうと2000年からは個人HPで競馬予想を始め、2001年にはもう他所のHPでも予想の掲載をさせて頂いた時期。インターネットで手に入る競走馬の情報というのも大きく、これをきっかけに全重賞の予想を手掛ける事になり、京成杯も(真面目に)予想をし始める事になった。
序盤からさらに余談で申し訳ないのだが、この当時の個人の予想はすべて前日23:00までに掲載するのがモットーで(他のHPでの予想掲載締め切り時刻も23:00だった)、しかも土曜日はほぼ毎週10:00〜22:00まで所用で外出しなくてなならない事情を抱えていた。なので予想はすべて金曜深夜までに作成しなくてはならいのだが、当時は金曜の夜には日曜重賞の枠順そのものが確定しておらず、予想を掲載する上でいろいろと諸問題を抱えている状況だった印象が強い。
余談はここまで…という事で、2001年の京成杯を振り返る。
この2001年のクラシック戦線は、前年暮れのラジオたんぱ杯3Sで台頭したアグネスタキオンがすでに主役として見られていた感じ。これに対抗できる馬がいるのか…という視点で見られていたのがこの京成杯。後に共闘通信杯、きさらぎ賞、弥生賞、スプリングSと次々に皐月賞に向けてのレースが行われるが、その品定めレースの一番最初のレースという位置づけ。これは今の時代になっても変わらない状況。
この年の1人気はプレジオ。父にカーリアンを持ち、近親にバブルガムフェローを持つという触れ込み(当時の記憶では)で人気を集めていた。2人気は前走ラジオたんぱ杯3Sで5着のマイネルエスケープ。勝ち馬からは離された5着だが、勝ち馬が強すぎたというイメージから評価が上がっていた印象。3人気には半兄にダービー馬フサイチコンコルドを持つボーンキング。こちらは折り返しの新馬戦を勝っただけのキャリアでいかにも血統的背景だけで人気になっているようにも見えた。
レースは如何にも時計の掛かるという馬場の中で進められ、3人気がボーンキングが直線で何とか差し切るという形で勝利。マイネルエスケープが中団からしぶとく伸びて2着、3着にはロイヤルキャンサーがゴール前何とか粘り込むという内容だった。1人気プレジオは意外と後ろからの競馬になって、最後は良く伸びてきたが差し届かずという感じの4着に終わる。
勝ったボーンキングはこれで一躍クラシック候補に名乗りを上げた。しかし次走は弥生賞に参戦して、不良馬場のハイペースという条件でアグネスタキオンに5馬身差の2着と完敗。その後は皐月賞は16着大敗した後にダービーで4着と意地を見せた。しかし古馬になってからは重賞戦線でもう一押しが足りないレースがつつき、2005年に引退した。
2着マイネルエスケープはその後に長期休養。秋に1600万条件で復帰したが、中々結果を残せず長らく低迷。翌年の秋には更に1000万に降級したが、2年後の秋に長距離戦戦に向かってそれなりの結果を残す。しかし再度昇級することなく終わってしまう。
3着ロイヤルキャンサーはこの後に500万に降級。時間はかかったが短距離路線で500万→1000万→1600万→OPと順調に昇級。再度OPを勝つまでの10戦で【6.3.0.1】という成績を残したのがこの馬の最大のハイライト。この後11歳まで現役を続けたが結果的に重賞で好走を見せることは無かった。
1人気プレジオはこの後に共同通信杯に向かうがジャングルポケットに2馬身差の完敗。この後休養して秋に復帰するも低迷が続き、後に1600万クラスでそこそこの成績を残すも重賞で活躍することはなく終わってしまう。
ちなみに当時の個人的な馬券は何と◎-○の本線で的中。当時の自身が書いた予想コメントを見ると(当時のHPのファイルは持っている)色々と難癖をつけて1人気のプレジオを▲評価に落している。その難癖の内容は小柄な馬体(410〜420Kg)で荒れた馬場ではパワー不足…みたいな事を書いているし、◎ボーンキングを推す理由としては500キロ超えの馬体でパワーがあると書いてある。今思えば微妙に合ってるような気もするが…。