想い出の日本ダービー

日曜の府中は暑くなりそうだ。予報では最高気温３０℃。そういえば１０年前のダービーデーも後々に演じられる死闘の結末を予感させるような暑い一日だった。クロフネ、タニノギムレットが阻まれてきた変則二冠に三度目の正直で挑んだ松田国英の執念か。公営所属の人馬の夢と希望を一身に背負った北の大地が育んだ英雄か。2004年の日本ダービーの興味はこの２つに注がれていた。

とりわけ注目を集めたのは皐月賞に続いてコスモバルク。レース前から岡田ラッパが炸裂するなど関係者は強気に理想の実現を口にした。それはまるで取り巻く環境の不利を懸命に封殺するようでもあった。それに呼応するようにバルクには究極の調教メニューを課して、大一番に向け追い込んでいく。鞍上の五十嵐冬樹には逐一指示を与える。完璧、万全を期して臨んだはずのダービーだったが破綻は音もなく訪れた。策士が策に溺れた。

対照的だったのがあくまで自然体を貫いたキングカメハメハ。関係者はすでにＮＨＫマイルカップを大楽勝していた実力馬に対する自信や信頼に溢れていたし、騎乗する安藤勝巳も当時は百戦錬磨。松田国英もダービートレーナーとしての誇りと余裕があった。お馴染みとなったスパルタで鍛え上げた結晶で自身に課した大きな山を越えようとしていた。１番人気と２番人気ではとにかく人間模様が正反対だった。結果的に人間が作り出したこの精神状態の差がレースでの明暗も分けることになる。

この年は青葉賞を好時計で勝利したハイアーゲーム、皐月賞馬ダイワメジャー、京都新聞杯で再び東上切符を掴んだハーツクライなどが有力候補として名を連ねていた。それでも単勝オッズは完全な二強ムードを示していた。しかし堂々と風格さえ漂わせている１番人気キングカメハメハを余所に、大観衆を前にしたコスモバルクのイレ込みは酷く、更に北国育ちには残酷とも言えるほど強烈な日射が追い打ちをかけるように容赦なく体力を奪っていた。この時点で勝敗の行方は決まっていたのかもしれない。

そして迎えたレース。皐月賞のリベンジと言わんばかりにまたも１枠１番を引き当てたマイネルマクロスは岡田繁幸が練った作戦の肝。皐月賞ではこの馬がまさかの大失態を犯し、差しの形をとったコスモバルクが泣いた経緯があった。そのマイネルマクロスがハナに立つが今度は好発をきっていたコスモバルクの制御が利かない。必死に抑え込む五十嵐だったがその苦労など知るよしもないマイネルマクロスの1000m通過「57秒6」は無情にもコスモバルクの劣勢を伝えた。

もっともペースに関係なく２番手グループで実質の主導権を握っているという気持ち的な有利さはあの時の五十嵐に微塵もなかっただろう。そんな敵方の葛藤を尻目に中団前のポジションでじっくり運んだキングカメハメハは心理的優位のお釣りがたぶんに残されていた。泰然自若。この言葉を見事に体現していたレース運びだった。そして４コーナーの手前。人々の絶望と歓喜が入り混じった後世に語り継がれるシーンへと場面は移り変わる。

暴走のツケで早々に余力を失ったマイネルマクロスが後退し、併走していたメイショウムネノリも限界。五十嵐の後続を確認するアクションに、誰もが声をあげた瞬間、コスモバルクの日本ダービーは終わった。抵抗する力を失った相棒の背で絶望を知る。これほどまでに悲哀に満ちた情景は他に知らない。府中の魔物に食われた一頭のサラブレッドは静かに馬群へと消えていった。

一方のキングカメハメハは４コーナー手前からのハイアーゲームとの攻防を退け、ゴールへと一路前進。大外を強襲したハーツクライの追い込みも全く寄せ付けず名実況でもある“最強の大王”が降臨した。移籍２年目でビッグタイトルを勝ち取った安藤勝巳。変則二冠の悲願を成就させた松田国英。クロフネから１３年越しで結実した夢は進むべき道の正しさを明るく照らした。

この炎天下での超Ｈペースによる過酷なサバイバルレースがもたらした影響は甚大だった。レース中の故障馬は３頭を数え、勝ち馬から２秒以上離されたのが８頭。激戦の爪痕は秋以降に上位馬たちにも襲いかかった。そのダービーを制覇したキングカメハメハの強さは今更語るまでもない。コスモバルクの戦いも立派だった。後先考えずに全身全霊を傾け、全てを擲って勝負するだけの価値と覚悟。それこそが日本ダービーが紡いできた伝統の重さだ。

失敗を恐れるべきではない。自分さえ納得できれば結果に対して真摯に向き合うことができるはずだ。2011年生まれの７１２３頭。今年出走する精鋭１８頭にはいずれも戦歴に傷がついている。敗戦をバネにして高く飛翔する誉れ高き優駿は一体どの馬だろうか。


【安土城Ｓ】は三つ巴。
◎ニンジャ
○メイショウヤタロウ
▲レッドアリオン