353件のひとこと日記があります。
2015/05/29 20:12
続き・・・
少年はかすかな嫉妬を覚える。それは悪魔に指をかけるお祈りだ。「自分が乗ったときだけ走り、他の騎手が乗ったら走らない馬」というのが、どの騎手にとっても、いちばんかわいい馬である。ましてダービーの朝ともなれば、そうした執念は、ひとしきり強くなって当然のことである。
馬房で、ひとつかみの草を与えながら、少年は馬に話しかける。
「おまえの一生に一度のダービーに、乗ってやれなかったな」と。馬はうなずく。「勝つ気になりさえすれば、おまえにとっちゃタニノムーティエなんか問題じゃないさ」と、少年は言う。「ただ、もしもおまえがダービーに勝って、加賀さんと並んで写真を撮るのを遠くから見ていたら、ぼくは涙ぐんでしまうかも知れない…でも仕方がないさ。がんばれよ」と少年は言う。
「ぼくは今日は、おまえのレースは見ないから」
ダービーの日、少年はどのレースにも乗らなかった。アローエクスプレスは、加賀とうまくいかず惨敗したが、もしかしたら、それは柴田への友情のしるしだったのかも知れない。この日、大群衆の中に背広を着て、じっとレースを見ている少年の後ろ姿を見たものがいるとしたら、それは幻である。
少年は厩舎にごろりと寝そべって、ひとつかみのアローのたてがみをもてあそびながら、「これでいいのだ、これでいのだ」と自分にいい聞かせていたのであった。 (寺山修司・「競馬への望郷」より)
※柴田政人さん、ウイニングチケットで見事、ダービー・ジョッキーになりましたね!