2118件のひとこと日記があります。
2012/02/14 19:54
バレンタイン
今日はバレンタインデーですね。自分には全く縁の無い行事ですが・・・そんな自分が1個だけ貰えました。
貰ったと言ってもくださったのは同じ町内に住んでいる母親のお友達の方です。
その母親のお友達の方はパン作りが趣味で新築の自宅にはパンを焼く釜が設置してあり、毎月2回8000円の講習料を払ってパン教室に通うという熱の入れ様。
またパンのレパートリーも多くその味も趣味の域を超えており普通にお店で売れるくらいの品物なのです。
こうして趣味で作ったパンを月に2回ほど母親は売ってもらってます。母のお友達はいろんな種類のパンを作るのですがその中でも自分はメロンパンが大好きで、他のパンは全部母親がお金を出すのですがメロンパンだけは自分がお金を出して買っています。
今日はバレンタインと言うことで夕方に母のお友達が自分に手作りのバレンタインの品物を作ってきてくれました。
写真にアップしたのが頂いたバレンタインです。中身はブランデーがたっぷりと入った大人の味のパンケーキでした。
「いつもお兄ちゃん(自分)が喜んで食べてくれるのが嬉しいから」と仰っていました。
なんだかとても嬉しくなりました。人間日々是感謝の気持ちを忘れてはならないと強く感じました。
そんな中疑問に思ったことが一つ。バレンタインっていつから始まったのさ?なので調べてみました。
日本でのバレンタインデーの説
神戸モロゾフ製菓(現在のモロゾフ)説 東京で発行されていた英字新聞『ザ・ジャパン・アドバタイザー』1936年2月12日付けに同社が広告を掲載したことを重視するものである。「あなたのバレンタイン(=愛しい方)にチョコレートを贈りましょう」というコピーの広告であった。確認されている最も古い“バレンタインデーにはチョコを”の広告である。 メリーチョコレートカムパニー説 同社が1958年2月に伊勢丹新宿本店で「バレンタインセール」というキャンペーンを行ったことを重視する説である。
森永製菓説、伊勢丹説 1960年より森永製菓が「愛する人にチョコレートを贈りましょう」と新聞広告を出し、さらに伊勢丹が1965年にバレンタインデーのフェアを開催し、これがバレンタインデー普及の契機となったとする説がある。 しかし、「バレンタインデー」の文字がある広告が、1956年の西武デパートや松屋の新聞広告や、1959年の松坂屋の新聞広告にも掲載されている。
ソニープラザ説 ソニー創業者の盛田昭夫は、1968年に自社の関連輸入雑貨専門店ソニープラザがチョコレートを贈ることを流行させようと試みたことをもって「日本のバレンタインデーはうちが作った」としている。
ただいずれにしても、すぐに大きな反響があったわけではなく、商品もあまり売れなかったようである[12]。各種の説があるが、バレンタインデーが日本社会に普及したあとに、自社宣伝のために主張されたために誇張も含まれると思われる。
総じて昭和30年代には、「バレンタインデーの贈答品はチョコレート」とする意識はまだなかった。当時のバレンタインデーの新聞広告によると、購入を勧める贈答品にチョコレートは登場しなかった。森永製菓の広告ですら、チョコレートは贈答品のおまけとして位置付けられていた。バレンタインデーの起源の一つとされる1960年の森永製菓の新聞広告には、「チョコレートを贈る日」ではなく、「チョコレートを添えて(手紙などを)贈る日」として書かれていた。バレンタインデーに贈答品を贈るのは誰かという点でも女性に限定されていなかった。ただ「愛の日」という点は強調されていた。
どれが本当の起源かどうかは未だはっきりしていませんが森永説が一番もっともらしいようです。
ちなみに、欧米ではバレンタインは男性が女性に尽くす日でありバレンタインのプレゼントは男性から女性に渡す日なのだそうです。
日本人でよかった?(笑)
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シ?キングザゴールドさんがいいね!と言っています。
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カチリンさんがいいね!と言っています。
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ユイエルさん
…はじめ「ぱっ」と見た時…ちょっとグロいものにみえてしまいました><
(すいません)
バレンタインデーはお菓子会社はほんと重要な時期ですよねー
ほんとに一番はじめは誰が言い出して出来たんでしょうかね?
お菓子会社の策略?? 私も以前、洋菓子作る仕事してたのでほんと忙しかったのおぼえてます
もらうことができてよかったですね -
ヴァネスさん
上がり様…段ボールいっぱいのチョコよりも…素敵なバレンタインデーになりましたね?おめでとうございます!
って?どなたとご一緒に食べられるんですか???? -
ヴァネスさんがいいね!と言っています。