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2015/12/31 12:21

知って・観て得する海外レース(Epilogue)

 今日は、いよいよ2015年最後の1日となりました。

 そんな最後に、今年1年書き綴ってきました、知って・観て得する海外レース。そんな書いた事に対して、最後のまとめとして Epilogue[エピローグ/結び]を記そうと思いました。

 今年の1年の日記。元々は、皆さんになかなか知りえない海外の内容を伝える事を1つの主旨として書きました。

 でも、もっと大きな事を残そうと思います。これは、netkeibaユーザーのみならず、日本・・・世界・・・いや・・・自分自身に対しても残そうと思い、書く内容です。

 突然ですが、皆さんは、『サラBLOOD! VOL.3』を読んだ事が有りますか?

 今回は、この著書に記されている内容を残そうと思います。

 記す記載内容は、『ジャージーアクト[Jersey Act]から学ぶべき教訓』の内容です。

 ジャージーアクト。この政策は、1913年に、欧州の近代競馬先進国 イギリス(英国)で作られた規則。その年に刊行された、『ジェネラルスタッドブック[General Stud Book]第22巻』に1節に有る序文。

「今後、産駒登録される馬は、父母の血統全てが過去の本書に遡れるものでなければならない。」

という1文が残された。

 こんな1文が記されたのは、19世紀半ばから、アメリカ(米国)からの流入馬が進んだ。その状況が凄まじいモノとなったのは、1899年英1000ギニー を優勝した シボラ[Sibola/ネアルコの3代母]にはじまり、1914年の英ダービーを優勝した ダーバー[Durbar]まで

クラシック覇者が、自身・父・母 のいずれか

にあたる馬が9勝も挙げたのであった。

 その優秀さにイギリスの生産界は、非常に焦る。実は、この政策の本来の意図は、

「疑わしきアメリカの血の排除」

であった。

 この政策の実施から10年余りは、何とかイギリス生産の馬で占められる事となった。しかし、その後、2度の世界大戦が起こる。その大戦を進み、終わるに連れて、隣国フランスからの遠征馬が続々とイギリスの大レースを制覇するようになったのだった。

 中でも、悲劇の象徴は、1914年に英ダービーを制覇したDurbarを母父に持つ仏産馬、トゥルビオン[Tourbillon/日本では、シンボリルドルフの5代父として知られる]。

 ジャージーアクトで締め出す前の馬の血を持つ馬に復讐される事態になったのだった。

 それを含め、1945年までに、イギリスのクラシックの3/4は、フランス産馬が占める。調教国でも、フランスの馬に1/3 という高占有率で、イギリスの力が落ちて行ったのだった。

 自分の身を守るべき規則に「首を絞められる」事態となったイギリス。この規則が撤廃されたのは、1949年。

 しかし、その規則撤廃から本格的な[大国復活]までには、非常に長い時間を経なければならなかったのだった。その後の復活の最大の立役者となったのが、ニジンスキー[Nijinsky]、ミルリーフ[Mill Reef]なのである。
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良く読んでみると、この様な規則・歴史。日本にも似た感じの歴史あるのです。それは、

マルゼンスキーが現役時として走った頃?内国産限定時代としてクラシック・天皇賞が行われた頃

に相当するのです。

 それだけ、外からの血を取り入れる事の重要性がしみじみと感じられるのではないのでしょうか。
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※最後に、『ジャージーアクト[Jersey Act]から学ぶべき教訓』のコラムの著者は、このサイトのコラムニスト 栗山 求 氏です。

 また、最後の付記タイトルは、「?異系血統導入の重要性?」と記されている。

 

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