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2015/11/29 13:07

知って・観て得する海外レース(week48)

 今年もあと1か月。知って・観て得する海外レースです。通算48回目です。

 残り5回分は、往年の名馬にして、日本の競馬に血統面で大いに影響を与えた名馬をお届けします。

 選んだレースは、1971年の英ダービー(G1)です。

 そのレースの勝ち馬 ミルリーフ[Mill Reef]です。

 生涯戦績14戦12勝。欧州3冠(英ダービー・キングジョージ6世&QEDS、凱旋門賞)を同一年に勝利した初の馬です。

 今から、44年前。この時期の日本の競馬は、まだ成熟手前。そんな時期に、これだけの名馬が日本にやって来る(入る)はずも無い。でも、当時の生産者としては、『これだけの血が欲しい』という想いは、当然持ってる。

 そんな中、日本に導入されたのは、そのMill Reefの仔の中から活躍馬を見いだせるモノ。その中でも、

 ミルジョージ(Mill George)[母:Miss Charisma母父:Ragusa]
 マグニテュード(Magnitude)[母:Altesse Royale母父:セントクレスピン[Saint Crespin]]

が日本競馬に大きな影響を与えました。

 ミルジョージは、イナリワンロジータ等、地方競馬出身の馬から活躍馬を多く輩出。実は、1989年には、全国リーディングサイアーをノーザンテーストから奪い取った事のある実績もあるのです。なお、2007年には、NRA特別顕彰馬として表彰された事もあります。

 マグニチュードは、エルプス(1985年桜花賞(G1)優勝)、1992年には、ミホノブルボン(G1 3勝/1992年 年度代表馬)等を産みました。

 欧州に戻って、Mill Reef自身の種牡馬成果は、競走時代同様、大きな影響を与えました。

 1978、1987に2度、英国リーディングサイアーに輝く。

 今では、サンデーサイレンス等の系統が、圧倒的勢力を誇り、廃れてしまう状況となっています。でも、彼の父:ネヴァーベンド[Never Bend]から生まれた父系として、Never Bend系として知られる馬の最高の功績馬を覚えて欲しいです。

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【レース映像】
 出走馬は、21頭。人気は、Mill Reef。しかし、距離経験が無い事がネックとなり、距離経験のある馬の逆転も期待される状況下でした。

 レースは、Mill Reefは、好スタートから5番手付近に付ける。馬群全体は、逃げ馬?最後方まで約10馬身程。中盤?直線入り口までほぼ隊列は、変わらないで進み直線へ。

 その叩き合いで、アイリッシュボール[Irish Ball]が一旦先に先頭に立つも、その横を余裕の手応えで、Mill Reefが『アッサリと』捕える。その後は、トレードマークシャドーロールを揺らしながら、Epsomの直線を独走。

 戦前の不安を嘲笑う完勝振りに、英国競馬Fanは、ニジンスキー[Nijinsky](1歳上の英3冠馬)に続くスターホースに沸いた1戦でした。

●レース映像URL : https://www.youtube.com/watch?v=SIUEdoQfs6M [Eddie Crより/FULL完整版版]
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【写真・参考】
 左は、彼がこのレースに勝利した後の写真(白黒です!)。白いシャド?ロールが眩しいのが分かります。

 右は、彼の存在・功績を称えて建てられた、銅像です。場所は、ロークベイステーブル[Rokeby Stables]にある銅像です。

●左の写真 : http://www.dailymail.co.uk/sport/othersports/article-1189933/Marcus-Townend-My-Derbys-time.html [Dailymail.co.uk の写真より]

●右写真 : https://en.wikipedia.org/wiki/Mill_Reef [Wikipediaに掲載された写真より]

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  • スーパーやっちさん

    ⇒広瀬北斗さん、いつもコメント有難うございます。

     そうですね。当時のリーディング級サイアーは、ノーザンテースト・トウショウボーイ・モガミでしたね。

     あの頃は、欧州からの導入馬がほとんどでした。

     ミルリーフを父に持つ産駒ミルジョージは、オールドファンなら、

    イナリワン(1989年 年度代表馬/大井から移籍した○地馬)
    リンデンリリー(1991年 エリザベス女王杯(G1/当時は、3歳牝馬の3冠目)

    の父として名が知れていましたね。懐かしいですね。

    あ、こう書いている内に思い出しました。今週、マサラッキが亡くなりましたね。その彼は、マグニチュードを父に持つG1優勝馬でしたね。

    2015/12/04 20:44 ブロック

  • 広瀬北斗さん

    ノーザンテースト,ミルジョージ,モガミそしてトウショウボーイあたりが上位でしたかね。勿論,ノーザンテーストがほぼ断トツだったかと思いますが。

    それにしてもミルリーフの代わりに入れてきた2頭の活躍ぶりからも,当時の日本競馬のレベルが分かります。

    2015/12/02 06:46 ブロック

  • スーパーやっちさん

     ⇒ふくすけさん、コメント有難うございます。

     実は、全21頭の出走馬は、以下のURLにありました。

     凄まじく古い紙面媒体をHPに、載っていました。

    ●そのURL : https://news.google.com/newspapers?id=buA9AAAAIBAJ&sjid=SEgMAAAAIBAJ&pg=6100%2C321108 [The Glasgow Herald / 1971年6月2日版より] 

    2015/11/30 20:18 ブロック

  • ふくすけさん

    (続き)Woodもダービーに出走して5着だったことは初めて知りました。

    2015/11/30 11:34 ブロック

  • ふくすけさん

     MillReefを取り上げて頂き、感謝致して居ります。同馬に就いては、自分の日記に書いたり、今後も書くつもりですので、今回は出馬表のことに触れたいと思います。レースから44年経って初めて全出走馬を知りました。このレースはフルゲートを越えるエントリーが有り、旗によるスタートが予定されていたと『優駿』に書かれていたんですが、今と違って海外レースの情報が全く無い時代で、どんな馬がエントリーして最終的に何頭出走するのかは皆目分からず、スポーツ紙や一般紙のスポーツ面の小さい記事で結果を知り、後は2ヵ月後の『優駿』のレポートを読むという状態で、英ダービーなら8月号、凱旋門賞なら12月号という感じです。
     後の愛ダービー馬アイリッシュボールIIやロンバード、ズグ、ダッパーダンの4頭が日本に輸入されてますが、「セントレジャーの権威低下の象徴」と指摘された同年のセントレジャー馬Athens

    2015/11/30 11:33 ブロック