437件のひとこと日記があります。
2010/12/11 21:05
My Dream
皆様こんばんはです!
前作、”徒然なるままに“を見て頂いた皆様ありがとうございましたm(__)m
あまり、ブルーな話を続けたくないのですが水曜に起きた出来事を受けて、そろそろ話してみる気持ちになりました。
信頼している皆様ですのでこの曹孟徳の生き様を見てやってくださいませ
水曜の夕方。
自分の携帯に着信が来た。
その日は秋葉原から買い物をしてかなり御満悦の状況にありました。
帰宅してから何を思ったのか部屋の片付けを始め数時間が過ぎ、やっとの事終わらせ、落ち着いた頃携帯が鳴りだした。
着信の相手は…
大分の友達からだった。
この大分の友達とは仕事場で知り合った友達で自分の勤めていた会社の前のお店の人でした。
当時、仕事場に同年代の友達の無かった自分はその友達に話し掛けた。
話しているうちに年齢は同い年。
しかし、疑問が生じた…
同い年で近場なら何らかで知っていたはずでは…と。
そして、聞き出してみると大分の人で実家はみかん農家を営んでいて、今は研修みたいな感じで大田市場で働いているとの事。
話は打ち解けていき、友達になっていきました。
しかし、ある日その友達が実家に帰る事に。
その時、
”時間出来たら遊びに行くよ“
と、約束し、住所と連絡先を教えてもらって友達は故郷に帰っていきました。
それから暫らくして自分の勤めていた会社でトラブルに遭い、会社を辞める事に。
その時、ふと思った。
今までがむしゃらに働いてきたから少し羽をのばしてみようと…
そこで教えてもらった大分の友達のとこに遊びに行く事にしました。
それが自分の一人旅の始まりでした。
友達のとこに1週間近く泊めてもらい、いざこざのほとぼりを醒める事になりました。
で、友達に聞いてみた。
”俺のどこが気に入ったの?“
”健ちゃん(自分の下の名前)凄いんだよ話していて凄いんだよ“
?
自覚は無かったのでしたが友達は自分の話した言葉から何かを感じでいたようです。
それ以来、その友達とは友達を越えた絆が出来ました。
その後、一年おきやら、大分に会いに行ってましたが友達も結婚して家族を持つようになると悪気を思い、行く頻度はかなり下がりました。
それが、今年の3月…
同じく友達からの携帯着信が下に会いに行く事になりました。実に3年ぶりの事。
それから夏場に一度電話が来て、話して以来の突然の電話だった。
友達はみかん農家なんで東京の動きを気にしての電話だった。
話を進ませていくうちに自分は決意して話を打ち明けた…
”親父が十月に死んだんだ“
夏場に電話が来た時はかなり良化されて問題ないと話していたがその後の話をその時初めて話した。
と、同時に。
”悪いな…俺の夢…実現できなくなった…“
俺の夢…
そう、それは…
”自分の店を持ち、大分の友達のみかんをお店で売り広めていく“
事。
自分はその夢の為、ずっとお金を貯めてきた…
ある程度の資金しか出来ないので50台位までは遣われて働いて、残りの余生に近付いてからお店を作り、自分の本当の戦いを始めるつもりでいた…
自分の頭の中には自分のお店を開いた時の戦術や計画などを絵空事のように描いた…
しかし、その資金はすでに無くなった…
だから、友達に告げた…
どっちにしろ、来年には大分に行って正式に話してこようとは思ってました。
だが、先に告げておかないといけない気がしていたので告げた。
そう…自分の夢は終わったのだと。
仕方ない事だが今回のことは背に腹は変えられない事態でしたので親父の入院した時、”覚悟“をしました…
これが本当の自分のMy Dream…
生前、親父は言ってました。
”あと二年、自分が働いて借金返したら残りの時間はお前にやる。“
”俺がお前のお店を手伝ってやる“
心底喜んでいた親父はもう、いない…
ただ、いるのは…
空っぽの自分だけ…
これからの人生、新しい夢を作ったのでそれを達成すべく生きていくだけ。
その夢は…
【自分の本当の友達を全国に作っていくこと】
この、うまスタで知りあけた皆様でもいい、新しく作る事の出来た人脈からでも構いません、自分を必要にしている人の為に生きる事が新しい夢になりました。
ですからその夢を実現していく為、邁進して行きます
まだまだ思慮が足らず、人間として欠落の多い自分ですがこれからも努力していきますので
何卒、宜しくお願いしますm(__)m
そして、古賀さんありがとうございますm(__)m
記念すべき、夢実現の第一歩はあなたのおかげです
こんな、自分ですが今後も宜しくお願いしますm(__)m
残りの命を賭けてお付き合いさせてもらいますよ(^^)v