437件のひとこと日記があります。
2010/11/23 19:12
今日この日
皆様こんばんはです
休日は如何お過ごしだったでしょうか
え?、自分は今日四十九日法要をしました。
ですので少々お話をお付き合いしてもらえると有り難いですm(__)m
去る10/10。
御存知のように親父が死にました。
そして、次の日病院から帰宅した親父はその日から自分の長く住んでいた自宅に居ました。
そして今日…
遂に四十九日。
自分の城から旅立つ日になりました。
毎日遺影と遺骨の前に座り線香をあげ、その日の報告を兼ね親父に心から語り掛ける日々でした。
吐露や不満や心配など何か話さずにはいられなかった…
別に答えてほしいわけではなく、ただ自然と。
そして四十九日が近付いてくると
“もう少しだけ家でゆっくりしてくれ”
その言葉だけが繰り返された。
そして今日…位牌と遺骨を持ってお寺に向かった。
四十九日法要に集まったのは7人。
自分の身内に姉貴の子供達だけ。
最小限の人数でひっそりと。
10時より始まり住職のお経も終わりいよいよ納骨へ。
お寺に向かう時は霧雨混じりの天気もその頃には日が射し込んできていた。
親父の長い道程を終わりを讃えてくれるように太陽が祝福してくれていた。
最後墓前でお経をあげてもらい線香を手向けると法事は終わった。
それから一旦自宅に皆寄ったがその後は何もなく解散。
そんな感じで午前中で法事は終了しました。
境内でお経をあげてもらってる中、ずっと考えていた。
親父は死ぬ迄余り心中を語らなかった…
今になっては何を思っていたのかは誰も分からない…
確かに親父は気付いてはいたと思うが決して自分で弱気になる事は無かった…
必ず良くなって療養してから仕事復帰する事だけを考えて生きてきた。
何故か…
それは借金があったから…
実家の稼業は魚市場で鮪の仲卸をしてました。
不況等の煽りを受け、厳しくなり親父は店の借金を返すため、店を兄とおふくろに任せ、タクシー運転手になり収入を借金に充ててました。
ですから、その事が親父の生きる糧になってました。
親父の生き甲斐を取り除く事は絶対にしない事を誓い支えてきました。
医者からは宣告を受けてましたが親父の執念は強く病魔を押し返し、退院間近まできてました。
…
……
………が…
起きてしまった…
元々白血病が原因でしたが間接的に起きる肺炎にかかりました…
結局それが元に親父は死にました
最後の夜、俺は親父の病室に泊まってましたがその時も何も語ってくれませんでした…
しかし最後の最後まで親父は立ち止まらずに戦い続けました。
それを俺は見ていた。
見続けていた。
だから、親父の死んだ日、悲しさはありましたがそれ以上に冷静に振る舞い、先に進んでいく事を優先する事にした。
悲しんで立ち止まる事を親父は許してくれないと思いますから。
“負けられない…親父に負けられない”と言う気持ちが俺を支えていた。
親父が死んだのは受けとめる事実。
その後は葬儀屋と迅速に話を進め葬儀の日和りを決め、早めに決行するなど気丈に努めた。
何より早く普通の生活をする事を望んでいたから。
ですから、やれる事を早く着手したお陰で早く普通の生活を送る事が出来ました。
そして今日で親父の一連の事は一応終止符を打ちます。
これからは現実生きていく事が最優先になっていきます。
まだまだ難題は抱えてますがほんの少しでも構わないが前に進んでいきます。
そして俺が死んだで親父の下に行った時親父に聞いてみます。
“俺は親父の子供で良かったのかと”
はっきり言うとこの言葉が一番自分の心残りです…
どんな思いだったのか…
ずっと胸にしまって親父に会うまでの宿題ですね。
それまで親父に失望されないように生きていくだけです。
何年何十年続くか分からないが親父に負けないように生きていく…
ただそれだけ…
そして諦めない…
そしてたまに遊びに旅に出る…
そして自分は変えない…
そう、これは“俺の物語”
まだまだ先は続いていく。
-
スピンさん
いつも一生懸命に生きてる健二なら大丈夫
どんなにキツくても乗り越えていけるさ
『今やらねば誰がやる、ワシがやらねば誰がやる』
の心で私は頑張ってますよ ワシと言う言葉はこっちの方言でワシ=自分です -
曹孟徳さん
>>ヒロさん
ありがとうございますm(__)m
本当にまだ先があります。
ヒロさんの仰るようにこれから進むべき道はどうなっているか分からず不安だらけです。
でも前に進んで行かなければならないのは事実です!
辛くても、厳しくても進まなければならない。
倒れても立ち上がって進まなければならない。
それだけは胸に刻んで生きていきます。
今は思わなくなりましたが親父が入院した時から死ぬ迄、自分の運命を嘆きました(自分の話は年の瀬にでも書きます)
何で親父がこんな目に…
何で自分がこんな目に…
被害者意識が強くなり、何不自由なく幸せそうに見える人を羨ましく思いました…
元々、自分は闇の部分も持ち合わせてますのでその被害者意識が強烈に出ました。
しかし、他人は見せる事なく自分の中で消してました。
親父を見ていたらそんな気持ち段々無くなってきたのもありました。
しかし、その親父はもう居ませんが親父に失望されないように頑張っていくだけです。
そして、親父に真っ正面で向き合って報告できる日まで戦っていきます。 -
曹孟徳さん
>>スピンさん
ありがとうございますm(__)m
まだ流石に自分のとこには親父は現われませんでした。
まだ一月しか経ってないので親父も早々には出て来ないようです(^^ゞ
本当に親父は何も言わずに逝きました。
法事中ずっと考えてましたが自分が死んだ時は急になっても残った者が困らないように最低限の事は書き留めておくべきかなと思ったりしました。
実際自分は結婚してませんし、今後するか分かりませんが万が一そのような想定になった時の事を考えさせるのにいい機会になりました
まだ先はありますので自分の死を覚悟した時考えた方がいいかもしれませんね
ただ、これで自分がやっていかなければいけないと言う自覚を持って生きていかなければなりません。
しっかりしないといけません頑張らないと -
ヒロさん
これからまだ道は続く。
山があればただのぼる、きついのか、険しいのか
そんなことは考えない。
ただ登る
頑張って生きていきましょう -
スピンさん
お父上四十九日法要ご苦労様でした
私も今日はお祖父さんの20年の法要でした。 可愛がってもらい大好きやったから一生懸命つとめましたよ。
法要中に気のせいかお祖父さんが『しんちゃん 大きくなったな』て笑いかけた様な声が頭上でしましたよ 私も健二殿の様にもっと何事にも真摯に努め天国から認めて貰えるように精進せねば…
健二殿もいつもお父上やご先祖様が見守ってくれてるから身体に気をつけてムリなく自分のできる限りで日々を生きればいいんやないかな
負けず嫌いの同じ気持ちを持った同志だね