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47件のひとこと日記があります。

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2011/11/15 21:15

サイゴン紀行(4)

実際に現地に行って、ベトナム人と会ってみて思ったのは、彼らの笑顔がきれいなことだった。
きっと、素直に生きてるんだろうな。
そう、自分は単純に感じてしまった。
でも、そう感じたのは、自分自身に負い目があったからなのかもしれない。
大抵の競馬ファンは、スポーツ新聞のごやっかいになっているが、
どのスポーツ新聞も競馬欄のそばに、ポルノ風俗欄を設けていたりする。
自分は、学生の頃はおもしろがっていたけど、
そんな悪習にいつのまにか慣れすぎていたのかもしれない。
こんな変な習慣、外国人には絶対見せられないなと、ふと感じたら、
なんだか、現地のベトナム人に負い目を感じてしまった。

そんな、変な自分だけど、向こうで会ってくれた彼女は、とても親切だった。
何をするにもバイクが必要なところで、自分に会わせて徒歩で観光につきあってくれた。
彼女の誘いで、統一会堂や戦争証跡博物館に連れて行ってもらったが、
実際、行ってみて感じたのは、どこにも、大勢の米国人がいたことだった。
彼らにとって、ベトナム戦争の記憶はまだまだ消えていないらしい。
特に、戦争証跡博物館では、どこもかしこも米国人で溢れていた。
ベトナム人の彼女は、めったに此処には来ないといっていたが、
確かに、此処には訪れるものの心をえぐる力があり、
日頃は遠慮してしまう場所なのかもしれない。

中に入ると、戦争被害者であろう、体が不自由なひとたちが、音楽をかなでていた。
そばには、千羽鶴のようなものがあったのだけど、
自分には近づいて確かめる気が起きなかった。
なんだか、申し訳なくて、気遅れしたんだと思う。
会場内の閲覧物も、また、凄かった。
特に、巨大なパネルで、奇形児の写真が何枚も飾られていたのが目を引いた。
おそらく、枯れ葉剤の被害者であろうが、現在、その理由は法的には不問のまま。
ただ、ここを訪れるものは、だれでも、その写真の前に立ちすくみ、何者かに祈らざるを得ないであろう。
ベトナム人の彼女は、そのパネルを黙って見ていた。
一緒に展示物を続けて見ていくと、
米軍兵士が過去を悔み、勲章等をベトナムに送り、謝罪している展示物があった。
近くでは、若い米国人が熱心に見ていたが、彼は何を思ったのであろうか。

ふと気付くと、日本語の展示物が目に入った。
よく見ると、日本共産党のポスターだった。
様々なスローガンが掲げてあったが、米軍基地反対、ベトナム戦争反対等の趣旨だったと記憶している。
社会主義国の此処では、日本共産党のポスターが特別に展示の許可がされているようだった。
日本にいた頃、正直、この政党にはあまり興味がなかったのだけれど、
実際、こうして社会主義国に訪れてみると、彼らには彼らなりに、重要な役割を担っていることがわかった。
政党政治はともかく、その瞬間、自分が素直に感じたことは、そのスローガン同様、米軍基地反対だった。

二人で無言で戦争証跡博物館を出た後、彼女の誘いでベトナム料理を出してくれるカフェに入った。
日本にいた頃、フォーを食べてみたいといったのを覚えていてくれたらしく、
其処で、二人でフォーを注文して食事をした。
本当は、日本でもベトナムレストランに通って、何度かフォーを食べたことがあったのだけど、
実際に現地で食べたものは、とてもおいしく感じられた。
会話のなかで、ベトナム語の電子辞書を探しているといったら、
彼女はわざわざサイゴンで有名な書店に連れて行ってくれた。
彼女のホスト精神はとても素晴らしく、今でも、感謝している。

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  • ウランフさん

    こんばんわ、初めまして^^
    私も2009年にホーチミン・ハノイに旅行に行きました。
    ホーチミンでの宿泊先が全く同じでしたのでちょっとびっくりしました。

    戦争資料館は私も言葉が詰まりました。でもその時のガイドさんがベトナムの人々の為にも目をそらさずにしっかりと見て行って下さいと言われていた
    のを今でも覚えています。

    戦争の残酷さ、非道さを我々はこの先も伝えて行かなければなりませんね。

    そしてベトナムの人々の優しさにとても心打たれました。
    カンボジアも4年前に行きましたがベトナムも数年後に再訪問したい国のひとつになりました。

    2011/11/16 21:47 ブロック

  • 愛しのウオッカさん

    私もカンボジアやベトナムに行って感じました。
    穏やかで笑顔がきれい。
    旅行者に媚を売るようなものではなく(一部にはそのような人も居るけれど)、素直に迎え入れようとしてくれる心があると感じました。
    オマーンでも同じようなことを感じて、好きな国の一つになりました。

    戦争資料館、言葉は出ません。
    枯葉剤の影響は地雷で手足を失い働けない人々の多さに、真っ直ぐ前を見て歩けませんでした。
    私はそこで中国系の方に『日本人だろ、お前らのやったことはもっと酷いぞ!』と、たどたどしい日本語で怒鳴られました。

    2011/11/16 20:40 ブロック