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2014/01/26 13:03

一口馬主からみた調教師に対する評価のあり方

一口馬主の中で調教師批判を繰り返す人が多い。
もちろん、私自身もそうしたくなる場合が多いので、その気持ちはわからなくもない。

ただ、中には的外れな指摘も多いのが事実だ。
今回は、一口馬主の立場から考える「調教師への評価のあり方」について考えてみたい。

私はよく調教師を擁護している立場に見られるが、そうではない。
ただ的外れな批判はするべきではないという立場であり、批判はあっていいと考えている。


いろいろなケースが考えられるが、よく目立つのはローテーションへの批判だ。
これは、距離であったり、芝・ダートの選択だったり、あるいはクラシックへ向けてのレース選びである。

ただ、私はこれについては、批判は難しいと考えている。なぜなら、調教師に入ってくる情報と私たちに入ってくる情報では、その情報量に圧倒的な差があるからだ。
たとえば「このレースは投票が多そうだ」「あのレースでは騎手が確保できない」などの情報だ。それをクラブコメントでいちいち解説していたら、きりがないだろう。

中には、関東の加藤征厩舎のようにそういう事情についても話してくれる調教師もいる。
こういう厩舎の馬を選ぶと戦略の部分も理解できて、面白いのではないだろうか。

だから、私自身も「なぜダートを使うんだろう?」といった疑問を持つことは多い。
そこで調教師自身がその考えをしっかり述べてくれていれば、馬主の不満はそこまで高まることはないのだと思う。そこがなされていれば、馬主は批判をするべきではないし、批判をするべきなのは、調教師のそういった性格を過去のデータから分析しきれなかった己の勉強不足だろう。

昨年のちょうどこのころ、ゴットフリートは一部の出資者からクラシックを期待されていたが、斎藤調教師はクラシックに関する発言などしていなかった。
むしろ「共同通信杯の結果で判断する」と話していたにもかかわらず、彼らは勝手にクラシックを期待し、勝手に失望した。迷惑千万な話ではないだろうか?

ローテーションやレース選びに対する批判というのは、本当に難しいし、やるべきではない。
もちろんレースが終わったあとに感じた問題点などを論じることには価値があるが、自分の想像やイメージに基づく批判は見ていて情けないのでご遠慮願いたい。


では、調教師を批判できるとすれば、どの点に関するものだろうか?
私は個人的には「体調管理」だと思っている。

これは調教師にとって最低限の部分であり、故障のリスクがあれば走らせるべきではないし、やはりそこができていないとすればプロの仕事ではないと考えている。
もちろん、生き物が相手の仕事であるから、すべてが人間の思うとおりにいくわけではない。

批判の対象に名前を挙げるべきではないだろうが、たとえば最近ではブレイズゴールドを預かっている梅田調教師は、馬が明らかに太め残しにもかかわらずレースに使った。
もちろん、競馬の世界には実践で使ってシェイプアップを図るという方法もあるが、調教で追っても14秒台が出てしまうような馬をレースに出してしまう点には問題がある。
しかも結果として、ソエの症状が再発してしまったという。これはプロの仕事としてどうなのだろうか?
元々脚元に不安があることはわかっていたのだから、騎手を手配していても出馬投票をしないなどの判断もあってよかったはずだ。

競馬で結果を出す大前提に体調管理がある。
だからこそ、この部分を調教師が疎かにしているならば、それに対する批判はあってもいい(当然、良識の範囲内に限るが)

その点、松田博調教師などは本当によく馬を見ている。
掲示板のユーザーの中には「背中の肉、背中の肉、うるさい」と批判するバカもいるが、ここにこそ松田調教師の仕事っぷりが見て取れて、私なんかは「いつも丁寧に仕事をしてくださっている」と評価をするわけである。


私はこの考えを人に押し付けるつもりもないし、だから掲示板で論争するようなこともしない。ただ、こういう考え方があるということは多くの人に知って欲しいのだ。

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