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2011/11/24 23:13

【回顧録】1984年ジャパンカップ?Vol1

これを読んでくれている皆さんは『番狂わせ』という単語で
どんなことをイメージするでしょうか??

サッカーファンであれば、アトランタオリンピックで日本代表が
世界王者であるブラジルに勝った『マイアミの奇跡』。

1980年のレークプラシッドオリンピックのアイスホッケーで、
アマチュアチームで構成したアメリカが、史上最強チームと呼ばれていた
当時のソ連に4-3で勝った『ミラクルオンアイス』。

アメフト好きならば、2002年2月に行なわれたスーパーボウル
圧倒的に有利とされていたラムズの“ハイパーオフェンス”を抑えて
ペイトリオッツが残り0秒で勝った試合も、語り継がれています。

そして、競馬でもこの『番狂わせ』ということがしばしば起きます。
今回は、1980年代の競馬史における『番狂わせ』の1つとされている
1984年のジャパンカップにスポットをあててみたいと思います。

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まずは1984年という時代背景から、おさらいしておきましょう。

43歳の誕生日に、世界で初めて厳冬期のマッキンリー単独登頂を果たした
植村直己が消息を絶ったのが、この年の2月の出来事。

7月末から8月中旬に、ロサンゼルスでオリンピックが行なわれ
足をケガしながらも山下泰裕選手が金メダルを獲得したシーンに
日本中は感動に沸き返りました。

長年、日本の紙幣に印刷されていた聖徳太子が姿を消して、
福沢諭吉の1万円札、新渡戸稲造の5000円札、夏目漱石の1000円札が
発行されたのは、11月でした。

競馬界での1984年は、シンボリルドルフ一色でした。前年のミスターシービーに続いての
三冠馬となりましたが、それをも上回る
【無敗で三冠達成】
ということで、史上最強馬の誕生と日本の競馬ファンは大騒ぎでした。

しかも、この2年連続で誕生した三冠馬同士が、ジャパンカップで対決することになり、
競馬ファンの間では
「いよいよ日本の馬が、ジャパンカップを勝つときが来たか」
と、口々に話していました。

1981年に創設された、競馬のジャパンカップ。
けれど、日本の競馬ファンの期待とは裏腹に日本馬は惨敗を続けました。

1983年のジャパンカップで、日本のキョウエイプロミスがレース中にケガを負いながらも
自らの競走生命と引き換えに2着に。

そして翌年は日本が誇る最強の2頭、三冠馬であるミスターシービー
シンボリルドルフが出走をするのであるから、俄然、盛り上がりました。

当時の連勝馬券は、枠連しかない時代。シンボリルドルフオーストラリア
ストロベリーロードと同じ7枠に入りましたが、多くの日本人は三冠馬2頭による
ワンツーフィニッシュを思い描いていたのでしょう、

【シービー・ルドルフ一点勝負。日本の夢】

と書かれた応援幕が、晩秋の府中のパドックで揺れていました。

このとき、10番人気のカツラギエースに注目をしている人は
ほとんど居なかったといっても過言ではないでしょう。

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    2011/11/25 00:35 ブロック