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2014/02/26 09:48

「犯人はお前だ!!」競馬サスペンス劇場

ズバリ犯人を言い当てる!間違っていたら失礼千万極まりないのですが、
推理小説やサスペンス劇場でも この瞬間こそがスペクタクルなのです。

でも、本当のカタルシスはそのあと自供した犯人がなぜ犯行に及んだのか、
切々と語られる事情に視聴者は同情や憎しみ、軽蔑といった普段の日常生活では
あまり表にだせない感情の禁忌が視聴者の感慨を呼び込み、視聴者の実体験を
昇華させ、「許す」赦の慈悲の心と「許さない」罪と罰を報いの心に
日常ではありえない架空体験をします。このヴァーチャルリアリティほど
どんなに映像技術が発達した現代においても、脚本や原作の優秀さにはかなわないでしょう。
なぜならそこには人と人がいる、そのどちらの立場にも
感情移入してカタルシスに浸ります。そのとき、探偵や刑事など犯人(真実)を追及してきた登場人物は空気のようなまたは神のごとくすべてを悟りきった仏のようにすべてを俯瞰した立場になります。天上人のような彼らもそれは一瞬なのですが、その時彼らが放つ言葉、まさに神の思し召しのようにすべてを悟りきったような説得力の啓示となり 周りの登場人物に今まで歩んできた道(人生)とこれからの歩む道(人生)を啓示します。
そして、すべてが終えたとき、例えば連行される犯人、残された被害者やもしくはその身内である人、力添えした協力者などが舞台のそでに降りていくとき、その探偵や刑事も、また日常の市井の人にもどり、それぞれの日常生活へともどっていき、視聴者もまた日常生活へと回帰します。

そして劇は幕がおります。

ただ視聴者はその映画やドラマ、舞台でなにかしらの感情の咀嚼があり
普段の日常では味わえない感慨の余韻に浸ります。

と、ながながと前置きしましたが、競馬も実はこんなサスペンス劇場なのかな
と感じるのが、最近ひとしおに思うところです。

ギャンブルという枠を超えて『なぜ?あの馬が』というストーリーが
わずか1,2分の出来事に集約されています。

もちろん、そのストーリーの主役は 他ならぬ「あなた」で馬券を買う買わないは別にしても 勝ち馬を予想した、その瞬間から、その醍醐味はすでに始まっているのです。ただし、勝った負けたで 馬券が紙一枚(お札にしろ
紙ふぶきにしろ)終わってしまうのは、もったいなくて、なぜ、そのお馬(犯人)が走って勝ったのか、切々とサスペンス劇場のように語られるのを知らずして、また次の週末に赤ペンを取るのはすこしさみしいことだと思います。
なぜ、その馬が走ったのか、それを切々と語るストーリーテラーが必要だと思います。
一本の映画やドラマ、推理小説のように語ってくれるストーリーテラーがいれば、どんなに楽しいことでしょうか。

でも、物事を的確に判断し、なおかつ饒舌に語っていただける方は数限りありです。予想するよりもレース直後に すぐに的確にそのレースを分析し
饒舌に語れる方こそが、名探偵や名刑事だとおもいます。

そういった意味で今週のネットケイバコラムの柏木集保先生の「重賞レース回顧」は本当に名探偵だとおもいます。
「フロックではないが、レベルには疑問が残る一戦/フェブラリーS」

ところで、そんなにわかるなら、なぜ?最初から予想できなかった?って?

それは、犯人がわからないから、もしくは謎を解いていく過程が
競馬でも推理小説でも「楽しい醍醐味」ではありませんか。

競馬とは ギャンブルを超えた楽しみが 映画やドラマのようにあって
その主人公はいつも「あなた」なのです!

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