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2012/12/11 12:34

私の競馬歴

競馬歴は49年、すなわちほぼ50年です。評論家の井崎さんより4~5年早いと思います。
シンザンが三冠を取り東京オリンピックがあった年です。昭和39年(1964)です。
アルバイト先へ向かうため新橋駅西口から降りると小さな広場になっていて、周りを木造の掘っ立て小屋が、いくつも並んでいます。新橋駅場外馬券売り場なのでした。競馬専門紙ではなく普通紙で主なレースの予想が載っているのを売っていたので買って◎◯▲のうち、▲を買ったら単勝複勝大当たり。まさにビギナーズラックでした。それと共に私の本命嫌い、穴狙いも始まったのです。シンザン馬券を買ったことは一度もありません。当時は単勝複勝枠連しかありませんでした。井崎さんよりも何年も早く中山のオケラ街道を歩いていました。帰りの電車賃しかない時も、しばしばでした。
社会に出て、定年まで居た会社に入って3年目に大阪に転勤し4年間いました。それまでの東京・中山から京都・阪神になりました。こちらの方がおおらか賑やかで外には馬券師が多勢路上で店を開いて居るし、指定席券の闇売り師は取り締まりの日は消えるが、翌日は券をぶら下げながら門前の警官と立ち話で笑い合っています。頭の上の皿のサイコロ5〜6こを直ちに「はい、三の目、六の目、一の目、五の目が二つ」などと当てる。ときどき「昨日はありがとさん」などと万札を置いて行く男が来る。----姫というおばちゃんと「エイヤー!」と掛け声をかける山伏姿の男と、両方とも黒山の人だかり。長年、なぜ瞬間的に分かるのか不思議でしtが、最近、そうか!と謎がとけました。秘密ですが頭の良い人はすぐ分かるかも。ケイタイや小型テレビなどは35年後です。
独身だったのでメチャな生活で、2万5千円ぐらいの給料を会社からもらうのではなく、逆に数千円を支払うはめになったことも。ただ、私の仕事は出張手当や宿泊費がご万と入って来るのでふだんの外食生活は一週間で数万使う豪華さでした。東京に帰り結婚して娘が生まれた頃、競馬をやめました。それから25年間、一切やりませんでした。ですから歴50年と言っても半分は全く知らず、皇帝もオグリも知りませんでした。なぜやめたかというと、競馬ブームになって来て面白くなくなったからです。始めたころは競馬・競輪などは全く悪い事で社内でも表立って平気でやっているのは私ともう一人の馬トモだけでした。それが数年後に他の人々もボチボチと始め、ハイセイコーが出て来ると一気にブームになりました。そしてテンポイントトウショウボーイグリーングラスの3強時代に入ると、さらにブームになって来て、面白くなくなりました。私のコメントを見ても分かる通り、世間に同調せず、我が道を行くことに生き甲斐を感じていたのに、大勢横並びの競馬など価値が無くなってしまったのです。
私は武豊馬券をほとんど買ったことはありません。武豊が嫌いなのではなく、むしろ非常に優秀で爽やかな紳士あるとずーっと思っています。ただ、「武ー!ー」「ユタカー!」となると

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