11件のひとこと日記があります。
2019/08/07 00:31
君が代に想うこと
今日は広島原爆の日
恥ずかしながらサイレンの音で、今日がその日だと思い出しました。
きな臭い政情の中で、心静かに鎮魂の祈りを捧げることは出来ませんでした
私達はまた過ちを繰り返すの?
犠牲者の無念にこの国は何も学ばないの?
ふと、中学生時代の終業式を思い出しました
多感な反抗期に、辛気臭い曲調の君が代なんて歌ってられるかよ……
横一列にならんだ教師達を見回すと、口を開けているんだか開けていないんだか、分からないくらいボソボソと歌う教師
何だか皆一様にうつ向きがち。
唯一、音楽の先生だけが多きく口を開けて歌っていました
熱血スパルタ系の音楽教師にしては、でも目を伏せながら、どこかオーラを消している……
当時は、「なんだ、先生達だって国家歌うのなんてダルいんじゃん」
くらいにしか思わなかったけれど……
教師が権利として、戦争の象徴とされていた君が代を歌わない選択をする事が職を喪うほどに重大な問題だったなんて知る由もありませんでした。
そうだよね……
たとえ君が代の歴史的成り立ちが恋歌であるにせよ、平和を願う歌であるにせよ、戦意高揚のために積極的に戦争の象徴として掲げられていた歌
愛する家族を戦地に送り出す時、どんな思いで君が代を歌わなければならなかったのか
戦争遺族の方々の中に、君が代に拒絶反応を示す方々がいたとして、想像に有り余ると今は思う
教育の場で、教師が君が代を歌う際に口を空けていたか?声を出していたか?
そんな事を同僚に監視させて密告し、当該教師を免職にしてしまう
なんとも空恐ろしくなる思いです。
結婚してから毎日の家事に終われて、世間のニュースや出来事がとても他人事に思えてしまう
平和は家庭からはじまる
マザー・テレサはそう言っていたけれど、家族だけの、自分だけの小さな幸福だけに浸っていていいのかな
世界と確かに繋がっている自分
大きな流れの中で、無力で希薄な存在に思えてならない自分
「平和を願うひとりひとりの心だけが、戦争を失くす唯一の術である」
そう唱える原爆被災者の言葉を反芻しながら、眠りにつこうと思います。
このささやかな幸せが、世界に繋がる水脈でありますように
みなさまの日々が穏やかな幸せで縁どられますように
馬連
間違った
アーメン………