1件のひとこと日記があります。
2020/10/02 23:15
好きにコメントできない
好きにコメントできないなら掲示板自体なくしたら運営さん
金を賭けた真剣勝負なんだから怒りもあるだろう。
金が絡む以上は優しい世界だけではないんだよって話
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こんなこと、どうでもいい! それよりも、カネが欲しい!
と思う人はいます。
でも、そういう自分を静観することで、
(本当は、そんな嫌な自分は居ない。深奥では誰もが分かっている)
でもな・・・と、段々と現実を冷静に見ることが始まります。
そして変わって行く。
もし、イライラして、腹を立てる自分が居れば、
・ それは、本当に自分なのか?
・ 「お前は、誰だ?」
と問い掛けながら静観してください。
夢から覚めるかも知れません。 -
ただ、ラマナ・マハルシは、その静寂の「私」も最後は完全に消え去り、
「あなた」「1つなる他者」に自分が溶け込んで消え去ると言います。
肉体は有るが、大きな大きな「全体の心1つ」の存在が居ることに成ります。
他人のことは、自分のこととして、受け取ります。
(釈尊が言う「天上天下唯我独尊」と同じです)
まずは、自分の家族から、自分の事として喜怒哀楽を共にします。
この範囲が段々と広がりますと、究極は、
最後は地球全体が、自分自身に成ります。
その時、その人の瞳(ひとみ)は、地球に変わります。 -
もし今の自分が腹が立てば、
自分のプライドが作り出した、その怒る自分を眺めれば良いです。
段々とそういう自分は、消えて行きます。
誰もが深奥は、本当は良い人ばかりなのです。だから生まれることが出来たのです。
でも、生まれ出た後は、
様々な欲求不満が創り出した「私」に、本当の自分が乗っ取られている状態なのが人間なのです。
このことを旧約聖書でも、アダムとイブの神話の、リンゴを食べるように誘う大蛇との会話で表現しています。
自分を乗っ取っている偽物の自分に気付けた人から、
善なる静寂の心の、本当の自分に気付け始めます。 -
近代インドの最大の聖者・ラマナ・マハルシ(ラマナ・マハルシの言葉)の「呼吸法」について
・ 息を吐く時は、「本当の私はこれでは無い」と思いながら吐き出す。
・ 息を吸う時は、「これは誰か?」「私は誰か?」と思いながら吸う。
・ 呼吸停止の間は、「私は、あなただ」と思うこと。
これの継続が、心に静寂をもたらすとラマナ・マハルシは言います。
他人のことでイライラし、悩む人が多いです。
では、そのイライラして悩む自分とは、本当に実在するのか? ということなのです。
誰もが、今、そういう自分が実在すると思い込んでいます。
でも真実は、そういうイライラした自分は、本当は居ないのです。
他人を気にする自分の心が創りだした自分であり、
仕事の苦痛から生まれた幻想の自分であり、
自分を他人に良く見せることが出来ない自分の不満心が、
イライラする自分という偽物の「私」を創っています。