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2017/03/11 21:31

3.11

あれから6年が経過。早いようで短いような6年だったのではないだろうか…。東北楽天ゴールデンイーグルスは久米島、金武町のキャンプが終われば毎年、桜前線と同じで日本列島を南から北へと球団一行は北上していく。今でこそ星野仙一氏の政治力で、岡山県の倉敷マスカットスタジアムにミニキャンプという形で何日間か定住するが、2011年当時は試合が終われば移動してを繰り返し全国を転々としていた。東日本大震災が発生した2011年3月11日は兵庫県の明石市でチームは千葉ロッテとOP戦を戦っている最中だった。試合の方は特別ルールにより8回で打ち切りとなったが、試合後バスに乗り込む楽天ナインが皆一様に仙台に残してきた家族の安否を心配するように携帯電話を掛けている姿がこちら関西のテレビ局で何回も映されていたのを今でも思い出す。その後チームは名古屋→横浜と転々としていたようだが、以前主婦の友社から発売された「アンチ巨人を読む」というタイトルの本の中で楽天イーグルスのことが特集されてあり、山崎武司氏のインタビューが掲載されていた。その中で当時の選手と首脳陣との葛藤が記載されてあり、仙台に帰る?帰らない?を巡り何度もすったもんだがあったそうだ。数日後首脳陣と選手は開幕前の僅かな時間を利用して被災地の避難所を訪問するが、一部の避難所では監督の星野氏に対して「今頃来て遅い」などの野次が飛んだそうである。今でも賛否あるその後の対応だが、同じ仙台に本拠地を構えるベガルタ仙台やバスケットボールチームがいち早く支援に駆けつけ、またセンバツ出場を決めていた地元の東北高校は避難所で水汲みなどのボランティア活動をしていたそうである。いろいろな意見は今でもあると思うが、なぜプロ野球球団の東北楽天ゴールデンイーグルスは直ぐに被災地入りし支援活動が出来なかったのか?やはり今現在でも疑問は残る。そして何の為の地域密着なのか。球団にはもう一度よく考えて頂き、今後への課題にしてもらいたいものである。

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