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2023/05/22 11:43

スピードシンボリの悲願、半世紀を経て成就

 以前テイオーの先祖を取り上げた時、スピードシンボリに触れていないのに気付いてはいたが、何となくそのままになっていた。だいぶ経ってしまったが、ごく簡単にまとめてみた。

 海外挑戦の先駆者としてのイメージが強いスピードシンボリは1963年の生まれ、現在の馬齢表記で言うと2歳の10月にデビューし、3戦目に初勝利を挙げた。馬主はシンボリ牧場の和田共弘氏、主戦は野平祐二騎手が務めた。かなり浮き沈みの激しい競争成績ではあったが、天皇賞(春)を制するなど、国内の一流馬にのし上がった。
 そんなスピードシンボリに、本格的な海外遠征の話が持ち上がった。ともに海外競馬に見識の有る和田と野平が、日本競馬の為に海外遠征の必要性で一致したのだ。1967年のワシントンDC国際を皮切りに、キングジョージや凱旋門という当時の日本馬にとってはとてつもなく高い壁に挑戦し続けた。
 結果は伴わなかったが、それで終わらないのがスピードシンボリの不屈の精神力だ。6、7歳時に有馬記念を連覇して歴史にその名を刻んだ。(当時の馬齢表記で7、8歳時)

 スピードシンボリが初めて海外の大レースに挑んでから51年後、その子孫が海外でG1を制することになる。スピードシンボリ同様にクラシックで大敗を喫しながら立て直し、オーストラリアに移籍したブレイブスマッシュが偉業を達成した。野平騎手が初めて海外招待レースに参加したオーストラリアというのも、何かの縁かもしれない。
 そして、次なる悲願は日本から遠征しての海外G1制覇だ。シンボリルドルフにとっての悲願でもある。両馬の血を引く子孫が栄光のゴールを切るイメージはすでに浮かんでいる。

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